<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed version="0.3" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xml:lang="ja">
<title>lepli</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/" />
<modified>2011-12-23T12:10:14Z</modified>
<tagline></tagline>
<id>tag:lepli.org,2011://2</id>
<generator url="http://www.movabletype.org/" version="3.35">Movable Type</generator>
<copyright>Copyright (c) 2011, editor</copyright>
<entry>
<title>復刊「LePLI 2011年 秋」</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2011/10/lepli_2011.html" />
<modified>2011-12-23T12:10:14Z</modified>
<issued>2011-10-24T16:05:08Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2011://2.302</id>
<created>2011-10-24T16:05:08Z</created>
<summary type="text/plain">「LePLI 2011年 秋」ができあがりました。 あしたのために、さらにその先...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>information</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>「LePLI 2011年 秋」ができあがりました。<br />
あしたのために、さらにその先のために、なんどでも復刊します。<br />
どうぞあたらしい「LePLI」をおたのしみください。</p>

<p><strong>「LePLI 2011年 秋」</strong><br />
定価；1,890円（本体1,800円＋税）<br />
限定100冊</p>

<p><br />
お取り扱い店</p>

<p><strong>VACANT</strong>   __________   あと<strong>1</strong>冊<br />
東京都渋谷区神宮前3-20-13   03.6459.2962<br />
<a href="http://www.n0idea.com/vacant/top.htm">http://www.n0idea.com/vacant/top.htm</a>l</p>

<p><strong>NADiff contemporary</strong><br />
東京都現代美術館 1F   03.3643.0798<br />
<a href="http://www.mot-art-museum.jp/shop/index.html ">http://www.mot-art-museum.jp/shop/index.html </a></p>

<p><strong>gallery5</strong>   __________    あと<strong>1</strong>冊<br />
東京オペラシティ アートギャラリー 内   03.5353.0449<br />
<a href="http://www.operacity.jp/ag/gallery5/index.php">http://www.operacity.jp/ag/gallery5/index.php</a> </p>

<p><strong>DOROTHY VACANCE</strong>   __________    あと<strong>2</strong>冊<br />
東京都大田区中央 3-2-16 1F<br />
営業；12:00〜20:00　休み；水曜日、木曜日<br />
<a href="http://dorothyvacance.com">http://dorothyvacance.com</a></p>

<p><strong>GENBAGEN</strong><br />
神奈川県鎌倉市大町 3-1-17　0467.22.4419<br />
open; 13:30〜19:30　月・火 定休<br />
<a href="http://www.genbagen.net">http://www.genbagen.net</a></p>

<p><strong>MAIL ORDER</strong>   __________  <strong>売り切れました。</strong><br />
c.royhand@gmail.com（ル・プリ編集室）<br />
お送り先（宛名、住所）部数をおしらせください。<br />
お届けはクロネコメール便（160円）にてお送りいたします。<br />
お支払いは到着後、銀行振込にてお願いいたします。<br />
ただいま製本作業中につき多少発送が遅れる場合がございます。</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>先日のVACANTファッション夜話会の御礼とお詫び。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2011/09/vacant.html" />
<modified>2011-09-02T13:28:15Z</modified>
<issued>2011-09-02T13:18:24Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2011://2.285</id>
<created>2011-09-02T13:18:24Z</created>
<summary type="text/plain">　みなさま、先日の夜話会へご参加頂きありがとうございました。 僕がまだ時差ボケ醒...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>information</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>　みなさま、先日の夜話会へご参加頂きありがとうございました。<br />
僕がまだ時差ボケ醒めやらぬ身体の侭でその結果、みなさまにご充分な時間を持って頂けたか、<br />
まとめることも為さないで気になっておりました。<br />
　その後、体調が不十分で数日を送り、気になっていたデジュメ等を添えてこの様なかたちで<br />
何かのご参考にして頂ければ嬉しくまとめたものに手を加え、遅ればせ乍らご送付いたします。<br />
　終った時間も遅くなりご帰宅にご支障はありませんでしたか？<br />
これも、気になっておりました。</p>

<p>　今回１部にて、特別ゲストを予定していましたが、おねがいした方が急遽海外へお出掛けになり不参加になってしまったこともお断りせずに失礼をいたしました。</p>

<p>　どうか、これからも、この様な夜話会を継続してゆく予定ですので、これからの会をもっと愉しく、面白いものにしてゆくためにもいろいろ、ご参考なご意見、ご質問等をお送りくだされば嬉しいです。ご質問に関しては出来る限りご返答させて頂きます、良き関係性のほどを。</p>

<p>　なお、発刊予定をしていた『LEPLI-秋号』が送れてしまって当日、間に合わづ，これもみなさまに失礼をいたしました。お待ちして頂いたみなさまにお侘び申し上げます。<br />
　９月初めに１００部限定を手作り初版として発刊いたします。<br />
販売は、VACANT, UNDER COVER SHOP, GENBAGEN, DOROTH VACANCE、等 にて販売予定です。乞う、ご期待と共に、よろしくお願いします。</p>

<p>　<strong>このファッション夜話会にご参加くださり、まだデジュメを入手なされていらっしゃらない方はご希望の旨をご連絡ください。　lepli0203@gmail.com/ひらかわ迄。<br />
</strong><br />
　　先ずは御礼とお願い、いろいろ。<br />
三伏の候、呉々もご自愛と穏やかな日々を。<br />
相安相忘。<br />
平川武治：平成２３年盛夏。</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>『 3.11／原発企業事故災害』で学んだ事。－１</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2011/07/_311_1.html" />
<modified>2011-07-18T04:43:44Z</modified>
<issued>2011-07-06T21:45:43Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2011://2.273</id>
<created>2011-07-06T21:45:43Z</created>
<summary type="text/plain">『 3.11／原発企業事故災害』 で学んだ事。－１ 　＊第１回； 1.）『国が、...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p><strong>『 3.11／原発企業事故災害』 で学んだ事。－１</strong><br />
　＊第１回；<br />
1.）『国が、国土が、海が、国民が穢された。』<br />
　僕たちの国土が、再び、穢された。<br />
この百年も経たぬうちで３度目の沈痛極まりない出来事である。<br />
先の２度の”穢れ”は敵国によってであった。忘れていないであろう『広島』、<br />
世界最初の原子爆弾の投下と、続く『長崎』。結果の｢大東亜戦争」敗戦と<br />
続く、その敗戦処理によって日本人本来の魂が抜かれてしまうまでの”穢れ”。<br />
しかし、今回の”穢れ”は同胞たち即ち、僕たちと同じ日本人によるしかも、<br />
”教養あり、社会的立場を持った、高収入を得てそれなりの生活暮らしぶり”を<br />
していた人たちによる、彼らの思惑と自信と傲慢さと驕りによって”穢された”、<br />
とてつもなく悲痛激しい辛い事故である。<br />
　僕たちの國、日本は自然と共に、自然の恩恵を受け自然と共棲しそして、<br />
自然と戦いもし乍ら、２千６百年程を生かされ続けて来た『日出ずる国』日本であった。<br />
その一部分が今回のような悲惨で罪深きダメージを蒙ってしまった。<br />
　自分の國に想いを寄せるこゝろがあるならば、今後の國体を念い労るならば<br />
このようにこの原発企業事故災害を悲痛な心境で受け止めてしまって当然であろう。<br />
事故後、当事者たち、関係者たち、政治家たち、傍観者たちの多くがメディアへ登場しているが、<br />
その大半の人たちからは、彼らたちのこゝろの在り様が感じられない、見えない。<br />
自分たちの國を母国を”穢した”という本心と自覚があっての発言では無い。<br />
彼らたちなりの立場と役割上の責任回避的なる言葉の羅列でしか受け止められないものばかりであった。<br />
これが結果、｢メディアは何も本当のことを伝えない。｣と感じ、読まれてしまった最大の原因であっただろう。<br />
　そして、今後の僕たちの國体と同胞の事、そこに生活する若き世代，赤児たちの未来の現実が<br />
どのようになってゆくのだろうかと考えると悲痛なこゝろの想いでこの３ヶ月程を過ごした。<br />
その裏には「僕たちの世代が、あの時に、もっとどうにかしていれば｣という自責の念が大きくなり乍ら。</p>

<p><br />
2.）『天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、自らの”立ち居場所”を見つけられた。』<br />
　今回、被災地を数回訪れになられた天皇、皇后両陛下を初めとした皇室のご一家の報道を観ていると<br />
このような事を感じた。天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、<br />
戦後、初めて自らの”立ち居場所”を実感として見つけられたのではないだろうか。<br />
　戦後、敗戦国の戦争責任者としての天皇、皇后と皇室ご一家は『国民の象徴』という<br />
GHQによって与えられた”立ち居場所”を寧ろ、命じられてこの与えられた役割に徹して来られた<br />
６５年間でいらっしゃったであろう。<br />
　しかし、今回のこの３．１１／東日本大震災の被災者たちを見舞われた報道を観て、<br />
あのように被災者の人たちと同じレベルの床に膝まつかれて差し伸べられる手と<br />
励まし交わされる言葉は『人間天皇』以外の何ものでもなかった。<br />
　このような考えは生意気で失礼であるかも知れないが、<br />
今回の一連の天皇、皇后両陛下を初めとした皇室ご一家の被災者たちを見舞われた行為によって<br />
見舞われた被災者たちもそうであっただろうが、何よりもその行為によって当事者となられた<br />
天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が戦後６６年目にして初めてご自分たちの　<br />
”立ち居場所”をご確認為されたのではないだろうか？<br />
　これは今後の日本国のために或る意味ではもの凄い事であり、<br />
大いなる新たな可能性を産み出す根源にもなるはずであろう。<br />
しかし、当然であろうが、メディアはその光景のみを報道して、その本意は決して報道しなかった。<br />
文責／平川武治：</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>『 3.11／原発企業事故災害』 で学んだ事。総括編。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2011/07/_311.html" />
<modified>2011-07-18T04:43:13Z</modified>
<issued>2011-07-06T21:28:52Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2011://2.272</id>
<created>2011-07-06T21:28:52Z</created>
<summary type="text/plain">『 3.11／原発企業事故災害』 で学んだ事。 　結論から言えば、これは我々日本...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p><strong>『 3.11／原発企業事故災害』 で学んだ事。<br />
　結論から言えば、これは我々日本人が選ばれた、”神=自然の啓示”であるというポジティブな発想を願って。</strong><br />
文責／平川武治：平成２３年６月１１日</p>

<p>＊はじめに；<br />
　事故後３ヶ月が経た今も「恐怖と不安さそして、無念さと悔しさ，悲しみと哀れさ」に<br />
こゝろ同じくする者たちは今回の”3.11/東日本大震災”という思いも依らない過大な自然災害により<br />
東京電力福島原子力発電所における企業事故が併発し、<br />
この想像を絶する事故の大きさと悲惨さの現実を知れば知る程に<br />
又、この事故が及ぼす今後の僕たちの母国日本に及ぼされるであろう諸被害と<br />
多くの悪影響を考えると僕たちには何が出来る事なのか？<br />
そして、何をしなければならない事なのか？を意志強く自問し続け、<br />
そこから僕たちに出来る事を見つけ出さねばならない。<br />
即ち、それぞれの『立ち居場所』を、<br />
ここには決して、見えている表層の哀れみにのみこゝろを囚われる事なく、<br />
冷静に強く謙虚に受け止め、真に学びこれからの僕たちの國への新たな可能性を<br />
そして，僕たちの國を想うこゝろと共にそれぞれが<br />
新たな日本人としての『こゝろの在り様』を見つけ出さなければならない。<br />
ただ｢がんばろう、日本｣レベルだけでは不足するものがある。</p>

<p>＊＊<strong>僕が「３.11/東日本大震災と東京電力福島原子力発電所における企業事故災」から学んだ事とは。</strong><br />
1.）『国が、国土が、海が、国民が穢された。』<br />
　＊２度の穢れは”戦争”という状況の元での結果。３度目の今回の穢れは”同胞”の行為による悲惨な結果である。<br />
僕たちはもう、“広島”“長崎”を忘れてしまう程に傲慢な民族なのか？</p>

<p>2.）『天皇皇后両陛下を初めとする皇室ご一家が、自らの”立ち居場所”を見つけられた。』<br />
　＊戦後のアメリカによる”象徴の天皇”からの国民の”こゝろの天皇”へ脱却出来るか？</p>

<p>3.）『「地盤や地殻構造の違い」によって、どの様な物でも、総てが変貌する。』<br />
　＊“根源”が違う事の認識。”シロ”が良くても”イエロー”には狂気という根拠と現実。<br />
総ては基幹あっての正しきもの。</p>

<p>4.）『知った事に対して、何をしなければならないか？』<br />
　＊変わってはいけない人間性の根源であり誠実という行為は不変。</p>

<p>5.）『”リスク"の種類と規模が変革した。』<br />
　＊自分の荷物は自分で持つ事の誠実さ。人間の荷物は人間が持つしかない。<br />
新たなリスクに対しての僕たちの制度と構造は？</p>

<p>6.）『「新しさが変わる」”新しさ＝モダン⇒近代”が変る。２０世紀は終った。』<br />
　＊こゝろの在り様が変わった。”共棲資本主義”を考え実行する時代性。</p>

<p>7.）『"無知"、"無関心"ほど恐ろしいものはない。』<br />
　＊『群衆は思想を持たない』このような時代に生きるための教養が必要。</p>

<p>8.）『戦後の日本国は依然、変わらぬ”アメリカのポチ”。』<br />
　＊“占領”というブラックボックスはまだ開かれていない。</p>

<p>9.）『「大和こゝろ」を持った国家戦略シナリオが書けるアーキテクチュアーが不在。』<br />
　＊戦後、６６年。もう自立し、國を想うこゝろで書かなれればいけない国家戦略シナリオ。<br />
 <br />
10.）『僕たちは”イエロー”であり”大和こころ”を持っている。』<br />
　＊文化価値観の自立。異民族たちから多くを学び、“イエロー”を再確認と再構築するチャンス。</p>

<p>11.）『「育ち、表層、深層」夫々のボキャブラリィーが何事にも存在する。』<br />
　＊総てのものには育ちのボキャブラリィーがある。“国策”“利権産業”が原発の育ち。<br />
決して、表層のみに偏らず、自らが求めるべき深層のボキャブラリィー。</p>

<p>12.）『”立ち居場所”を捜し始める。そのための”決断”が自由さと勇気。そして、責任が必要。』<br />
　＊“豊かなる難民”に成り下がってしまった『僕たちはイエロー』。<br />
日本人としてのこゝろの在り様を探し出さなければいけない契機。そのための勇気と責任。</p>

<p>13.）『２０２５年へ向けた”ビルダーバーグ・グループ”の眼差しは？』<br />
　＊グローバリズムとは『新植民地政策主義』、彼らたちの"New Order World"とは？</p>

<p>14.）『日本という國には原子力発電所という“商品”は不適格品だからいらない。』<br />
　＊僕たちは海に囲まれ、自然に育まれ、自然環境と共棲して生きて来た國。<br />
考えるべき僕たちの必需品を！。</p>

<p>15.)『原発の怖さ。エゴの怖さ』<br />
　＊核の恐ろしさと人間のエゴの恐ろしさそして、“0－1”世界/二項対立の恐ろしさ。</p>

<p>番外）『このような悲惨な事故に対して、日本のファッションデザイナーたちはどう関わったか？』<br />
　＊日本社会は消費慾が不幸を救うと言う変わらぬ現実なのか？</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>あるインタヴュー記事を読んで。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2011/06/post_13.html" />
<modified>2011-07-18T04:43:32Z</modified>
<issued>2011-06-19T13:43:28Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2011://2.265</id>
<created>2011-06-19T13:43:28Z</created>
<summary type="text/plain">　もう１ヶ月の前の記事ですが、”インタヴュー『原発事故の正体』” 『限界のないリ...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>　もう１ヶ月の前の記事ですが、”インタヴュー『原発事故の正体』”<br />
『限界のないリスク、近代社会が生んだ不確実性の象徴。』という見出しで始るこのインタヴューには<br />
もう一つの確実な眼差しがあった。このインタヴューを幾度も読み乍ら感じた事、想った事をまとめたくなった。<br />
／U.-BECK／朝日新聞５月１３日掲載；</p>

<p>＊新しいタイプに“リスク”とは？<br />
　人間自身が創り出し、その被害の広がりに社会的、地理的そして、時間的に限界がない大災害が生むリスクのこと。<br />
所謂、普通の事故における”リスク”とは、一定の場所、一定の時間そして、一定の社会グループの限定されている。<br />
　しかし、この原発企業事故はそうではなく、新しいタイプの”リスク”をもたらした企業事故である。<br />
このようなリスクを孕んでいるのは原発事故だけではなく、気候変動やグローバル化した金融市場<br />
そして、テロリズムなど他のグローバリズム以後のニュースを賑わせる多くの問題も同じような性格を持っている。<br />
　今回の福島の原発企業事故はグローバリズム以降の近代社会が抱える”リスク”の象徴的な事例である。<br />
　<br />
＊なぜ、このような新たな”リスク”が？<br />
　この質問の答えは“人間の意思決定”が総てのリスクを生み出している時代性であるからだ。<br />
ここには以前のような“神の決定”はない。即ち、”神の不在”の時代になった。<br />
ここでは神に代わって、新しいテクノロジーが開発されPCとハイパー機器が一般化、日常化されたハイパー社会。<br />
この社会ではこれらを使っての時間と量と質の変革がなされ、<br />
その結果が情報規模と量もそして、経済における投資活動も変質した。</p>

<p>＊『責任』は誰が取るべきか？<br />
　『地震が起る場所、起き易い処』に原子力発電所を建設するという事は政府であれ、<br />
企業であれ”人間”が決めた事です。<br />
ここには”神の存在”は無く，自然が決めた訳でもない。<br />
人間が決めた事であり、人間が背負わなければならない”新しいリスク”が今回の原発企業事故である。<br />
政府や企業は今更、神を問題にする訳もいかずここで”自然”や“環境”を持ち出すしか無く、<br />
”近代化”そのものがもう既に、我々自身では制御出来ない社会を生み出している。<br />
そして、それについて、誰も責任を取らない取らないでいい組織化された<br />
”無責任システム”が出来上がってしまっている。<br />
この社会構造はハイパー社会に於ける”バーチャルな責任システム”でしかない。</p>

<p>＊破状した近代社会のための制度とシステム。<br />
　１９世紀，近代という時代が生み出すリスクや不確実性に対処するための仕組み<br />
即ち、お金によって補償するという”保険”制度が開発，発展した。<br />
これは“進歩”を可能にするための社会契約だったでしょう。<br />
しかし、今回の原発企業事故が起こしたリスクはこれらの保険制度では対応しきれないもの。<br />
１９世紀から２０世紀の多くの”制度”は元来、もっと小さな問題の解決のために<br />
設計されて来たシステムであリ、<br />
今回の福島原発企業事故がもたらしたリスクはこの近代社会のための制度とシステムでは処理出来ない<br />
大規模な企業災害事故であった。<br />
　<br />
＊資本主義社会の企業の利益は何処へ消えてしまったのか？<br />
　例えば、リーマンで代表された金融システムの破綻の時も自動車界ビッグ３等、いろいろあったが、<br />
あのような資本主義世界の世界企業が不祥事を起こし問題が起きてもその負担を國や市民に廻すのであれば，<br />
それは資本主義ではなく社会主義、国家社会主義の政策であるはずです。<br />
　今回の原発企業事故もそのようです。国家の国民の税金を使い、膨大な予算を使い，<br />
更に、世界一高い電気料金を国民から取って電力企業はこの原発事業を４０年以上も推進しておきながら、<br />
彼らが言うところの”安全神話”を垂れ流す事以外には、”万が一”の事故に対しての<br />
具体的な対策案や保証システムを創って来なかった。<br />
いつの間にか、自分たちが儲けた利益は自分たちだけで分配し，自分たちに都合がいい事に，都合よく使うのが<br />
資本主義の正論になってしまった時代性，金権資本主義世界でしかなくなった。</p>

<p>＊“市民運動”が必要な時代性？<br />
　産業界や専門家に判断を独占させずに市民の関与が真実を見つけ出します。　<br />
市民社会と彼らたちの”市民運動”がこの変質した資本主義を変革させる事が可能である。<br />
資本主義社会であるが、民主主義国家であるという自覚。<br />
そして、この民主主義の内に市民社会があり、<br />
市民参加の”市民運動”が存在しなければ、産業界と政府の間に強い直接的な癒着が出来てしまう。<br />
そこには”市民”は不在で透明性に欠け諸問題の”意思決定”は<br />
両者間の癒着と連携の元で行なわれてしまう。俗にいわれる、官僚と財界の独占性でしょう。<br />
ここで”市民運動”が関われば、政治に大きな“窓”を設けることが出来る。<br />
即ち、新鮮な風を吹き込むことが出来るのです。<br />
自分の”立ち居場所”に端を発する市民意識と責任意識。<br />
そのための持つべきそして、学ぶべき教養とそこから生まれる問題意識。<br />
この自分たちが関心を持った諸問題に、知った事に対して<br />
どのような行為に依って関わってゆくかの”決断”が“市民運動”そのものである。</p>

<p>＊市民運動の必然性とは？<br />
　大切なポイントは、産業界や専門家たちにいかに”責任”を取らせるか？持たせるか？<br />
そして、いかにして透明に出来るか？<br />
又，他方ではいかにして市民参加の構造を組織出来るか？<br />
これらが市民運動が目指すべきところである。<br />
　産業界や技術的な専門家たちは今まで、”何がリスクで、何がリスクでないのか”<br />
これらを決断する権限を独占して来た人種である。<br />
彼らたちは普通の市民たちがそこに関与する事を望まず、<br />
寧ろ、排除して来た特権意識の強い世界の住民であった。<br />
ここには自分たちの民族意識からの責任意識よりも彼らたちが持ち得た世界での<br />
個人のエゴから生まれる特権意識の方が強い。<br />
今回では“原子力村”の住民たちがそうである。</p>

<p>＊市民運動に必要なものとは？<br />
　一つは、自分たちの立ち居場所の根源としての”民族意識”です。<br />
今ここに来てドイツ、メルケル首相の動きが表層化し，関心が持たれ始めている。<br />
その根拠の一つに彼らたちドイツ国民が持っている”民族意識”がある。<br />
自分たちの國を想うこゝろとは自分たちの民族を想うこゝろに他ならないという<br />
根拠が伺えるのである。<br />
これが今回の原発企業事故に対する日本政府と政治家たち企業家たちや学者たちと<br />
一般国民にも欠如しているところでしょう。<br />
即ち、國を想うこゝろがあれば“気骨”が生まれます。<br />
　二つ目は、市民としての“学びと教養”が必要である。<br />
そのためには人間としての誠実さと謙虚さが必要ですね。<br />
そのための”学ぶ”という行為が必要でしょう。<br />
市民運動に参加するための必要な知識や知恵を学び、<br />
謙虚さという人間の美徳の一つを持っていなければならない。<br />
こんな時、「群衆とは思想を持たない集団」という言葉を想い出す。<br />
思想を持たない群衆がただ、行動すれば暴挙、暴動になる。<br />
“反対”をしていれば、自分たちの立ち居場所が感じられるからと言っての<br />
”反対運動”では不足するものがある。<br />
　三つ目は、市民運動には“気概”が必要である。<br />
”民族意識”を持って、問題意識について”学びと教養”を身につけ<br />
そこで、日本人としての”気概”が必要でしょう。<br />
この”気概”を持つ事によって、市民運動もがんばり、張り切って<br />
“気骨”ある運動として継続出来るのです。<br />
“気概”を持つ事は勇気と自信に広がり他人を想うこゝろへ発展し、<br />
新しい人間性の強い、ゆとりを芽生えさせます。<br />
　四つ目は、当然ですが、自分の”立ち居場所”が必要です。<br />
今回の原発企業事故によってこの自分の”立ち居場所”が無くなったり、<br />
より、見えなくなったりと、大きくシャッフルされてしまったようですが、<br />
やはり、自分が生きている証しとしても、<br />
この自分の”立ち居場所”は必要ですね。<br />
この事故後にやっと、自分の”立ち居場所”が判った人たちも多くいるでしょう。<br />
何故ならば、戦後の多くの日本人は目先に吊り下げられた”エサ”に操られた結果、<br />
個人の夢をも成就し、それなりの豊かさを享受しその自我のみの傲慢さと虚栄心で現在では<br />
“豊かなる難民”に成り下がってしまたからです。<br />
　五つ目として、もう一つ加える事は“情報”です。<br />
オープンでフラットな”情報”がこの市民運動には必要です。<br />
必要な”情報”は価値と直接的な機動性を持つ。<br />
だから、今回の原発企業事故に於いても<br />
”情報”が不透明、遅い、不確実などのマイナス要素ばかりの”情報”だったので<br />
国民を余計に不安，不信にし、その怒りを増大させる原因となったのです。<br />
しかし、”情報”が敏速で、確実なものであっても<br />
それを受け止める側にそれなりの知識が無ければ、<br />
その”情報”そのものは正常に機能はしません。<br />
結果、今回、“情報の市民化”が正統な市民権を得た。<br />
サイト上においてのYouTubeやUSTREAMやTWITTERと個人のブログによる情報発信の多くが<br />
市民運動への”開かれた窓”として機能を果たしたからである。<br />
世界に自らを開き、もっと協力しあい、協調しあう事がこの”市民運動”にも必要な ”情報”です。<br />
グローバル時代には、どんな國の国民も『新しいタイプのリスク』に 対して<br />
より、オープンな態度が不可欠です。<br />
これらのリスクがもたらす諸問題に対して自分たちだけでは<br />
解決出来無くなってしまったのが現代と言う”近代社会です。<br />
　<br />
　どうか、これらを認識して下さい。<br />
　このように書き記していると、僕は京都大学原子炉実験所助教でいらっしゃる<br />
小出裕章氏の存在を強く想った。<br />
彼の人格と存在そのものが、今回の”原発企業事故”で多くの教えと共感と勇気を与えて下さった。<br />
小出氏の態度は僕にとって、<br />
正に『気骨』ある人間のみが持ち得られる毅然とした、<br />
巨大なも、体制と資本に媚びるところ無い誠実さがあふれている態度そのものである。<br />
『たいへん、ありがとうございます。』<br />
＊<br />
　どうか、『近代性』がそして、『明日』が<br />
『あきらめ』の同義語となって行く事の無いように。<br />
合掌。<br />
文責／平川武治：</p>

<p>＊参考文献；「原発事故の正体」／朝日新聞５月１３日掲載インタヴュー／Ulrich Beck氏より<br />
Ulrich Beck／ウルリッヒ–ベック著書リスト；<br />
『危険社会』（二期出版、1988年／法政大学出版局、1998年）<br />
『世界リスク社会論――テロ、戦争、自然破壊』（平凡社、2003年→ちくま学芸文庫、2010年）<br />
『グローバル化の社会学――グローバリズムの誤謬・グローバル化への応答』（国文社、2005年）<br />
『ナショナリズムの超克――グローバル時代の世界政治経済学』（NTT出版、2008年）<br />
『再帰的近代化――近現代における政治、伝統、美的原理』（而立書房、1997年）</p>

<p>＊小出裕章氏／京都大学原子炉実験所助教；<br />
この『熊取の６人衆』は必見。<br />
http://video.google.com/videoplay?docid=2967840354475600719#<br />
朝日ジャーナル『原発と人間』／別冊週刊朝日緊急増刊：<br />
『原発のウソ』／扶桑新書０９４：扶桑社刊<br />
『隠される原子力-核の真実ー原子力の専門家が原発に反対するわけ』／創史社刊：等：<br />
　</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>平川武治版終戦記念日に念う事／「生まれて半歳の平川武治が体験した終戦日とは、 その時の祖母は、母は？」−２</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2010/08/post_9.html" />
<modified>2010-08-22T06:51:26Z</modified>
<issued>2010-08-20T10:09:38Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2010://2.212</id>
<created>2010-08-20T10:09:38Z</created>
<summary type="text/plain">　気が付いてみると、 私たちは余りにも自分一人のことと、 その業のために身勝って...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>　気が付いてみると、<br />
私たちは余りにも自分一人のことと、<br />
その業のために身勝ってで横柄な生き方をしてしまっていませんか？</p>

<p>それが心地よい時期も在ったでしょう。<br />
でも、今では、流石、もうちょっと、恥ずかしさを感じる事はありませんか？<br />
人生を終わり掛け始めてるリタイア組の人たちはこれを認めると自らの人生が？</p>

<p>　自然を念い、他者を想う、親を想う、先祖を憶う<br />
社会を念う、國を念う、地球を念う<br />
時をおもう、お金を念う、愛を想う、性を思う、<br />
この、想うこゝろと想い合うこゝろが純に、自分らしく端整に「調和」していれば<br />
その姿は安心出来るし、美しいはず。</p>

<p>僕たちが簡単に使ってしまっている『 美』は<br />
此処からしか生まれませんね。<br />
　<br />
「　おおらかなる心と案じあうこゝろの調和。」</p>

<p>　このこゝろの状態のキャッチボールが<br />
”しあわせ”と呼べるものではないでしょうか？<br />
しかし、それ自体は決して、永続性あるものではありません。<br />
モノにも、人にも、自然にも終わりがありますように、<br />
幸せや安心にも永続性はありません。</p>

<p>　その幸せや安心が大切であれば、在る程に、<br />
その”関係性”をどれだけ永く継続させて行くか？</p>

<p>此処にも、想い合うこゝろと行為の努力という<br />
『謙虚さ』が必要になるでしょう。<br />
その為には、先ず、ご自分の真こゝろを素直にお持ちください。<br />
そのお持ちになられたご自身の真こゝろを信じて、<br />
その真こゝろの思うままの謙虚さ在る行為を為さってみて下さい。</p>

<p>　此処からが総てのはじまりです。<br />
これは結構、勇気が必要なことです。</p>

<p>その始まりが不十分であれば、<br />
総てが不十分な行為の結果になってしまうでしょう。</p>

<p>例えば、<br />
ご自分が今、美しいこゝろを念っていらっしゃるのなら、<br />
その美しいこゝろの美しさを念う行為をなさって下さい。</p>

<p>その行為が、絵を描くことなのか、服を作る行為なのか、<br />
人を愛する行為なのか、家族を念う行為なのか、自然を思う行為なのか、<br />
本当は、さして問題が無いのです。</p>

<p>　問題は、自分のこゝろの想いに総てが潜んでいることです。<br />
自らの真こゝろの在り方にあります。</p>

<p>学ぶこと、努力することとは<br />
このこゝろの在り方の為に成さなければならない<br />
人間の品位に関わるしなければならない<br />
『謙虚』な行為の一つです。<br />
その不連続が『関係』をも生みます。<br />
その為された経験によって<br />
『調和』の成熟さが生まれて来ます。</p>

<p>　未熟、早熟、未成熟、成熟と、<br />
この成熟さが足りませんね。<br />
多く若い人たちも目先を急ぐあまり、<br />
虚飾に戯れんと、謙虚なるこゝろを投げ捨て、<br />
学ぶ真こゝろが鈍化、退化していませんか？</p>

<p>　未成熟なこゝろに業を張ってもその業はそれまでのもの。<br />
ご自分の業はより、成熟為されたこゝろに持つことで<br />
その業は他者へも耀くまでのものになるでしょう。<br />
お勉強とは、<br />
為さなければならない自心への真こゝろの調和と広がりへの<br />
謙虚なる行為でしょう。</p>

<p>　だから、生ある限り、お勉強はしなければならない。<br />
これも、自然なことなのです。</p>

<p>　戦後の多くの日本人たちは<br />
『不自然な』『無理な』『歪な』生き方を選ばされてしまったことによって、<br />
僕たちが持っていたはずの<br />
『こゝろのバランサー』をも歪にしてしまった<br />
国民に成り下がってしまったこと。</p>

<p>　嘗ての、<br />
僕たちの國の湿りある、優美な調和をいっぱい想い起こしませんか？</p>

<p>これ以上、<br />
”へんな”ことが当たり前にならない前に<br />
『へんな國』にならないうちに！<br />
そして、『へんなあなた』にならないうちに！！<br />
気概ある真こゝろを携えて。</p>

<p>ありがとう。<br />
平成二十二年八月十五日／６５回目の終戦記念日に。<br />
ひらかわたけはる：</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>『共棲資本主義』／参考資料：『分かち合いの為のデザイン』『分かち合い工学』を考える為に。ひらかわ版：</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2010/08/post_6.html" />
<modified>2010-09-22T15:46:19Z</modified>
<issued>2010-08-04T00:49:05Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2010://2.207</id>
<created>2010-08-04T00:49:05Z</created>
<summary type="text/plain">共棲資本主義／参考資料：２０１０年０８月０３日現在： ＊J.アタリ/　&quot;FRAT...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p><em>共棲資本主義／参考資料：</em>２０１０年０８月０３日現在：</p>

<p>＊J.アタリ/　"FRATERNITES"『反グローバリズム』/彩流社刊/ '09-6-20<br />
＊「分かち合い」の経済学 (岩波新書): 神野 直彦: <br />
＊『地域再生の経済学──豊かさを問い直す』（中公新書、2002年）<br />
＊『「希望の島」への改革──分権型社会をつくる』（NHK出版、2001年）<br />
＊『人間回復の経済学』（岩波新書、2002年）<br />
＊『教育再生の条件──経済学的考察』（岩波書店、2007年）<br />
＊[エコロジカル経済学の諸原理』/"Elements of Ecological Economics"<br />
/ Routlede/2010-5-03/ISBN-1-:041547380 / ISBN-13:978-0415473811／Ralf Eriksson & Jan Otto Andersson<br />
＊宇沢　弘文教授／旭硝子財団-ブループラネット賞／’０９年度受賞<br />
http://www.af-info.or.jp/blueplanet/doc/lect/2009lect-j-uzawa.pdf<br />
＊セルジュ・ラトゥーシュ/"decroissance"（脱成長、縮退）理論の提唱者。<br />
＊セルジュ・ラトゥーシュの論文（日本語で読めるもの）<br />
『経済成長なき社会発展は可能か？〈脱成長〉と〈ポスト開発〉経済学』（中野佳裕訳、作品社、2010年7月）<br />
「生活水準」（『脱「開発」の時代――現代社会を解読するキーワード辞典』晶文社、1996年）<br />
「収縮社会のために」（『世界』2004年2月号、岩波書店）<br />
＊サイト掲載／<br />
「開発の自文化中心主義に抗して」<br />
http://www.inclusivedemocracy.org/journal/vol3/vol3_no1_Latouche_degrowth.htm<br />
　『経済成長よ、さらば』／"decroissance"（脱成長、縮退）<br />
http://www.diplo.jp/articles09/0908-4.html<br />
http://www.diplo.jp/articles04/0411-4.html<br />
"Would the West actually be happier with less? The World Downscaled", Le Monde diplomatique (December 2003). <br />
http://www.hartford-hwp.com/archives/27/081.html<br />
"Why Less Should Be So Much More: Degrowth Economics", Le Monde diplomatique (December 2004). <br />
http://www.mindfully.org/Reform/2004/Degrowth-Economics-Latouche17nov04.htm<br />
"Can democracy solve all problems?", The International Journal of Inclusive Democracy, Vol.1, No. 3 (May 2005). <br />
http://www.inclusivedemocracy.org/journal/vol1/vol1_no3_latouche.htm<br />
"How do we learn to want less? The globe downshifted", Le Monde diplomatique (January 2006). <br />
http://mondediplo.com/2006/01/13degrowth?var_recherche=Serge+Latouche<br />
"De-growth: an electoral stake?" The International Journal of Inclusive Democracy Vol. 3, No. 1 (January 2007).<br />
http://www.inclusivedemocracy.org/journal/vol3/vol3_no1_Latouche_degrowth.htm</p>

<p>＊<em>ブログ『フィンランド発、持続可能な世界への転換』</em><br />
http://www.ymparistojakehitys.fi/sustainable_societies.html<br />
＊<em>オランダのエコ団体。</em><br />
http://www.eco-efficiency-conf.org/content/2010.challenge.shtml<br />
＊<em>ブログ『さて何処ヘ行きかう風が吹く』</em>/<br />
 http://blogs.yahoo.co.jp/tessai2005/<br />
＊<em>ブログ『東大環境学が解る-丸山真人』</em><br />
http://www.sanshiro.ne.jp/activity/99/k02/interview/maruyama.htm</p>

<p>ハンスイムラーという経済学者の「経済学は自然をどうとらえてきたか」という本で彼がいっている言葉です。<br />
結局、環境問題あるいは自然の危機というのは人間の生命の危機であるということなのですが、<br />
「生態系の危機の本質的な内実は物証的な自然が危機にさらされているということではなく、<br />
人間の本性が危険にさらされているということである」</p>

<p>＊『ポストモダンの共産主義』J.ジジェック著／ちくま新書<br />
＊『マルチチュード』A.ネグリ&M.ハート著／NHKBooks</p>

<p>＊<em>環境三四郎</em>／<br />
東大の環境を考える会：http://www.sanshiro.ne.jp/<br />
＊<em>上野の住民のブログ</em>：http://blogs.yahoo.co.jp/romanticnao/24933603.html<br />
文責／平川武治：</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>『共棲資本主義』や『テクノロジー』について語る。／DISCIPLINE会ノオト／平成２２年６月１７日版，デジュメに変えて。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2010/08/discipline_4.html" />
<modified>2010-08-20T10:07:53Z</modified>
<issued>2010-08-03T23:38:11Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2010://2.206</id>
<created>2010-08-03T23:38:11Z</created>
<summary type="text/plain">DISCIPLINE会ノオト／ ＊ひらかわのアジテーション！！ 『　文明を謳い又...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>archives</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>DISCIPLINE会ノオト／<br />
＊<em>ひらかわのアジテーション！！</em><br />
『　文明を謳い又は憂い、文化をデザインして欲しい。』<br />
　生を与えられ、生かされているあなた。あなた自らの価値観の元に築き上げる自分の世界観を拠り所に、<br />
あなたが、あなたらしく生かされる事に必要な世界のために、社会のためにそして、人間のために、<br />
堂々と、文明を謳い又は、憂い、文化をデザインして欲しい、それが服であっても。／ひらかわ：　</p>

<p>＊<em>『　ファッションにもう、“夢”は無くなったのでしょうか？　』</em><br />
そこで、“未来”をちょっとだけ想い、新たな、“新しさ”を考えてみましょう。<br />
【共棲資本主義】を考え、<br />
【分かち合い工学】を想い、<br />
【分かち合いのためのデザイン】を考えてみる。<br />
ここではもう、女や男の時代ではなく”人間のための”時代をその『本質』として発想する。</p>

<p>＊<em>変わらない資本主義に望む大切さを考える</em>。<br />
　その発端は昨年の１年から、<br />
『Woodstock Rock Festival ４０周年』と<br />
西アフリカ、マリ共和国への旅。<br />
そして、『共棲資本主義』という発想。</p>

<p>＊<em>新たな社会環境が生まれると</em>、<br />
『分かち合いのためのデザイン』というテーマで　新しい時代へのデザインが、<br />
そこに携わる人たちが　何かが出来ると信じて、<br />
『分かち合い工学』と言うデザイン-カテゴリイを本気で考えて行く価値があると信じて！！<br />
新たなデザインカテゴリーとして、教育機関も考えるべきである。</p>

<p>＊<a href="http://ブログ『フィンランド発、持続可能な世界への転換』<br />
http://www.ymparistojakehitys.fi/sustainable_societies.html</a></p>

<p>＊<em>先日の建築家たちとのトークイベントでの僕の言いたかったこと。</em><br />
『建築と建物の違いは？』をその世界の若手建築家たちに聞いてみたかった。<br />
『人が入るのに充分な広さを取り込んだものの殆ど全ては建物である。建築とい<br />
う言葉は、美的感動を目標に設計されてもののみに用いられる。』<br />
―――ニコラス・ペヴェスナー／ヨーロッパ建築史序論／１９５４年彰国社刊<br />
→建築における美的感動は、絵画的・彫刻的・空間的の三つに手段によりつくら<br />
れ、第三の空間こそのみが、建築のみがもつ手段であり、同時にその中には、絵<br />
画的・彫刻的なものも含まれているため、視覚芸術の中では最も包括的なもので<br />
あり、他の上位にあることを示している。そしてこの美的上位であることとは、<br />
社会的にも上位である。<br />
→１９世紀末、アーツアンドクラフト、アールヌーボウ、セッセション等一連の建築と工芸運動によって、<br />
「機能主義」の台頭が変化をもたらした。<br />
「必要を満たすものは美しい。／　機能的なものは美しい。」<br />
建築の機能とは、それを満たすものは｢建物｣に過ぎない。<br />
そこで、機能主義のテーゼは建築と建物の価値を転倒逆転させる。これがモダンデザインの始まり。<br />
→機能主義の問題は、機能の追求は必然的に機能分化へと、建築の機能は集約化し、配置化を考え、より複合化して行く。そして、配置関係を重視しなければならない。<br />
→もう一つ、社会的価値が必然となる。そこで生まれる関係性を考えなければならない。これが建築が関わるべき都市計画的な発想である。<br />
→絵画的、彫刻的そして、空間的な美的価値と社会的価値を持ち得た建物が『建築』と言える。（合理主義の登場／バウハウスからル-コルビジュェ（建築の５原則）<br />
→真面目に言ってしまえば、<br />
→→→『作る人間が持ち得る価値＋モノが持っている機能的価値＋そのものが持たなければいけない社会的価値』これらの諸価値に絵画的、彫刻的そして空間的美意識を可能なる，選ばれたテクノロジーを持って創造する人間。／</p>

<p>＊<em>これは建築の世界だけでもない。</em><br />
ファッションの世界に於いても、『建物と建築の違い』が消費財である<br />
「衣料品とファッション」『デザイナーブランドとフアストファッション』等の違いに存在する。<br />
『美意識』＋『問題意識』＋『テクノロジー』によってそれぞれが持ち考える３つの価値を造形化するか？</p>

<p>＊<em>２１世紀のこれからを考えると、</em><br />
1)もう”２０世紀”を繰り返さない、繰り返せない。<br />
   →２０Cの価値観は然程、重要ではない。<br />
　→『ウサギとカメ』のお話／もうカメよりウサギ！関係性を作る。<br />
2)『資本主義』という経済価値の構造は不変であろう。<br />
3)そうしたら、新しく考えるべき『資本主義』構造とその形態を考える必要性が在る。<br />
　→全ての消費社会における”あたらしさ”を考える場合、ここからがスタートであろう。<br />
　そして、逆算的発想として、”現代”を見、考える。<br />
そうしないと、いつも"表層的"な眼差しでの"ウケるモノ"捜しと、<br />
その"カッコつけ”作業のための"ウソも方弁"の社会は不変。<br />
3＋α)ここで一つ考えるべきヒントとしてのプラトン『国家』に述べられている、『知性』『欲望』そして『気概』の、<br />
三位一体の関係性。<br />
これを消費のレベルに落とし込めば、現在の日本の現状が解る。<br />
あるべき『知性消費』も低下し、今は『欲望消費』のみが我々の豊かさを表層化している現状。<br />
　次なるは、物質的な『欲望消費』に満足した戦後の日本人たちと新世代の人たちが新たに思い、<br />
求めるものは『気概消費』であろう。<br />
ここで、『夢』の変質化。「モノへの夢から気概への夢へ。」<br />
4)そこで、現在の若い世代の人たちの関心事とは？<br />
――エコ、地球、環境、ヘルシー、結婚、家族、子供、安心、安全、いらないモノ、大切なモノ、<br />
NPO、ケアー、ボランティア，友情、音楽、スポーツ、占い，神頼みなどなど。<br />
ここにも彼らたち世代の人たちの『消費』についての変化が読める。<br />
5)モノが与える『イメージ』を消費した時代性から，モノから得られる『リアリティ』のための消費へ。<br />
ここで新たな「機能主義」も新しさを生む可能性として大切な要素。<br />
即ち、これからの消費のモチベーションは『エピソード』が大切なキーワード。<br />
モノを消費する事によって体験出来る『エピソード』が大切な時代性。<br />
ここにも、持ち得た『エピソード』によって得られる『気概』を消費するという迄の新たな欲望シーン。<br />
6）そこで、『本質』として考える資本主義の新たな形態とその在り方。<br />
　例えば、２０世紀の資本主義が『独占資本主義』又は、『金権資本主義』としたならば、<br />
２１世紀の僕たちが求める資本主義は、出来れば、みんなで何かが出来るという気概性からの資本主義形態。<br />
そこで提案出来る一つが、『共棲資本主義』又は、『気概資本主義』。<br />
7）この発端はマルクスであり又、ヒッピーでもある。<br />
資本主義の進化は、限りなく社会主義に近づく。<br />
　ここで大切なことは、社会主義と違うことは、『人間性』。<br />
そして、その『人間性』を基盤に、『個人の自由な意志を大切な拠り所として、それぞれが作る気概ある共同体である。』<br />
　ここには『ヒッピーコミューン』が祖型としてかつてには在った。<br />
41年前に、ロック音楽をその自由なフレームとして、行われた「Woodstock Rock Fes.」<br />
８）ある時期、建築家集団”チームーテン”たち以降によって提案された<br />
「建築を作り上げる空間そのものを機能的、質的に分解し、それらに能動性を与えた」運動と<br />
その後、空間単位が取り替えられ移動出来ること迄を主張した結果、”テンポラリー”という新たな建築の発想が生まれた。<br />
　これをファッションの世界への新しさとして落とし込むことも可能である。<br />
「身体空間そのものを機能的、質的に価値的に分解し、それらに能動性と拡張性を与える。」<br />
9）近い将来、都市や建築などの組織又、オーダーといったものは、<br />
その場その場の状況に対応したテンポラリーな構造や組織が必要になる。<br />
全く価値の違ったテンポラリーな”小さな社会”。<br />
それは、現在のような固定化された体制や組織など、個人の存在を事実上疎外した都市や環境ではなく<br />
常に、個人の成熟した自由な意思の裁量によって築かれるあらたな共同社会である。<br />
　ここに『共棲資本主義』（『気概資本主義』）の根拠性を考えることが出来る。<br />
10)このような新たな世界観の下でのファッションは新しい”夢”を持つ迄に、</p>

<p>＊<em>『物心一如』</em><br />
より、肥大化して行く『大衆消費社会』構造そのものを今後、<br />
変革して行かなければ僕たちの仏教の言葉『物心一如』のバランスが崩壊してしまうでしょう。<br />
あの、『遠州好み』と言われている日本美学の中にも『共棲』思想と『融合』思想が在りました。</p>

<p>＊<em>『不義して富を求めず。』</em><br />
本当に、もう、『アメリカ印の日本』から『日本印の日本』の国体へ。<br />
　その根拠性は「個人のエゴ」から「自然や他者との共棲」思想をもっと生かして行こうと。<br />
人間味在る想いと行動が謙虚な真こゝろを持ち得るでしょう。<br />
此処でも、もう、みんなが持ち得る自我を１％、セーブしませんか？　<br />
東洋の日本人としての成熟度を意識しましょう。<br />
ここで、少し宗教に関心を持ってみて下さい。<br />
おみくじを引くのも今では“消費”行動。<br />
　このままで行けば、『日本』という国は国体無き国、愛国心薄き国家、<br />
思想無き国体と民の国になって『金権社会』構造のみが肥大化するだけでしょう。<br />
もう、戦後は既に６５年が過ぎました。<br />
これからの新しい日本という国を、まず皆さんで想い、語り合いデザインしてみて下さい。<br />
そこに、かつての日本人が持って居たはずの“真こゝろ”を持って！！<br />
　既に、現在では、『大衆消費社会』構造における儲ける方法、目立つ方法は無数に在りますし、<br />
なんでもありの時代性になってしまっています。<br />
そのレベルでのあれこれはもう、新しさや必然性や人間性を生む迄の新らしさへは至らないでしょう。<br />
かつての日本人豪商、紀伊国屋文左衛門が『不義して富を求めず。』と言っていましたね。<br />
こんな言葉も消えてしまった戦後の日本。<br />
　もっと、今の時代の「本質」として僕たちは何を考えて行かなければいけないかを、<br />
『国体』を想うかを、若い世代の人たちへ投げかけて行く事しか僕は今、興味が在りません。<br />
これが、出来れば好きなモードの世界を通じて出来れば幸せです。</p>

<p>＊『　<em>表層も大事ですがその深層にも真こゝろを向けて下さい。</em>　』<br />
　僕のロジックの原点は物事の『本質』を出来るだけ学ぶ事。物事にも深層と表層が在ります。<br />
例えば、美しい形と塊に見えている氷山にもその水面下にはそれなりの塊が在っての事。<br />
そして、それぞれのバランスが美しさの総てを形創ると言うこと。<br />
見えている表層のみを理屈や他者の事例を持ち出してとやかく言っても、それはそれだけの世界。<br />
　本質を学ぶ為の、本質を知る為の、本質を行為する為の、<br />
『謙虚心』と『好奇心』そして、『勇気』と『責任』を意識しての生き方を選んで欲しいと想うのです。<br />
若い時代に“早熟に”人生の、生き方の『本質』を知って、持ってしまえば案外と物事は自分らしく、<br />
ポジティフに堂々と生きて行けるのですよ！！<br />
造られ与えられた世界で生きて行く為の『マニュアル』人生はもう止めて下さい。<br />
即ち『本質』と『表層』の関係性を自分らしい価値観と世界観で自分のバランス観を持つ、<br />
その自分のバランス観で物事に関わって行く事がこれからは大切な「個人の責任」になる時代性でもあるという事です。<br />
例えば、何の為にブログを書く？にも関わって来る時代性が。<br />
　自分らしい価値観と自分の世界観を持ち得るには<br />
先ず、自分の内側を覗き込んで自分の内なる心象風景としての幼年期を見直してください。<br />
自分が何に夢中になって遊んでいたのか？どのような環境で育ったのか？などですね。<br />
２番目は、自分の美意識を持ってください。<br />
自分の身近な環境から、自分なりの「文化の領域」を持ち模す事から始まるでしょう。<br />
３番目は、自分なりの問題意識を持ってください。<br />
自分の生きている時代性とその社会で起き上がっている諸問題に対して関心を持ち、好奇心を豊かにして下さい。<br />
そこに『三方良し』の想いが行為の本質になれば。</p>

<p>＊『　<em>三方よし。』／『　三方一両得</em>。』<br />
　『三方良し』とは多くの豪商たちを輩出した近江商人と呼ばれた人たち彼らの、”商人哲学”です。<br />
三方とは、”自分良し、相手良しそして、世間良し”の三者良しという事です。<br />
　（６月１5日付け／日経新聞文化面「私の履歴書」欄／オービック会長兼社長の野田順弘(のだまさひろ)氏／「『三方一両得』」という言葉が出てきます。<br />
　この人は昭和43年に会計機販売の仕事を自分ではじめるのですが、そのビジネスを始めるきっかけとなったアイデアだそう。／以下、勝手に引用。<br />
　「いままで自分たちが大手企業に売り込んだ会計機の多くが新型機種の買い替えやオフコンの導入で不要になり、倉庫に眠っている。それを安く引き取ってきて整備し、中小企業に低料金で貸し出すというのはどうだろう。大手企業にとっては処理に困っていたものがお金をもらって片付き、資金がない中小企業は安い料金で会計機が使える。会計機も生き返るから『三方一両得』になる。そこに商機があることに、まだ誰も気づいてないはずだ。」</p>

<p>＊<em>『共棲資本主義』と『分かち合いのある社会』そんな社会のためのデザインを考えたい。</em><br />
　そんなとき、『共棲資本主義』は一つの想い、日本人として持っていたはずの真こゝろであり、<br />
可能性だと信じれば例えば、ここ数年前から僕の眼差しとして提言している、<br />
ファッションデザイナーも『May I help you?』の真こゝろが必要になる。<br />
　日本のモノ、西洋のモノ、東洋のモノそして、新しいモノ、古いモノ、自然と環境、民衆のものと作家のものそして、<br />
自分と他者など等。物質的な豊かさの生活を持ち得た『豊かなる難民』たちが持たなければならない新たな責任としての<br />
バランス感豊かな、『共生感覚』や『共有消費』でしょう。<br />
今の時代の現象、リメイクやエコなどもこの新たなバランス観が必要なそして、大事な世界。<br />
そして、『腹八分目』感覚も大事でしょうね。<br />
繰り返しますが、だから、自分のエゴを１％をセーブしてください。<br />
<em>セルジュ・ラトゥーシュ／</em>/"decroissance"（脱成長、縮退）理論の提唱者<br />
『経済成長なき社会発展は可能か？〈脱成長〉と〈ポスト開発〉経済学』（中野佳裕訳、作品社、2010年7月）<br />
＊<em>ファッションと夢</em><br />
　最近、ファッションの世界に興味を持って居るはずの世代の人たちと話すと<br />
彼らたちからその好きなファッションの世界に”夢”という言葉が絡んで来なくなり始めた。<br />
　彼らたちにとってのファッションはもう、”夢”と置き換えられない迄に｢日常化｣してしまった世代なのだろうか？<br />
若しくは、ファッションにそれ程の魅力が無くなり始めたのか？<br />
それ程、憧れるブランドが無くなったのだろうか？<br />
又、彼らたち世代の関心事は既にファッションを通り過ぎてしまって違うものに”夢”を委ね始めたのだろうか？<br />
　ここで、僕なりの判断なのですが、<br />
彼らたち世代はもう｢消費｣そのものをうざったく感じ始めているのではないだろうか？　<br />
消費時代のジュニアたちも大衆の中へ入り始めたことで日常化してしまった｢消費」に対して<br />
より、客観的なる態度を持ち始め、｢消費」よりも大切なことがという視点が芽生え始めたか、<br />
又は｢消費」には変わらぬ興味があるがその対称の種類が変化したとも言えるもではないだろうか？<br />
　ここでの発想と新たな消費のベクトルの一つに、<br />
―――――『欲望消費』から『気概消費』へ。　<br />
　これによっての新たな”夢”の可能性が考えられる。<br />
『何かしら、私も地球や自然や環境に優しく生きて行きたいね！』<br />
『古いものを大切にし、出来るものは再利用して、いらないモノはいらない生活をしたい。』<br />
『みんなで使い合いが出来るものはみんなで使ってもいいよね。』<br />
というようなベクトルからの新たな｢消費｣即ち、一つの『気概消費』が生まれたことは確かである。<br />
　ファッションの世界の『差異』はそのブランドが発信可能なイメージ力により何処って居た。<br />
PCの発達後、この『イメージ力』によるファッションの「差異化」は急速に進化した結果、<br />
その虚像の虚像たるネタがバレるのも早くなった。<br />
その後、ファッションが持つそのバニティさはそれを体験出来る限られた人々と<br />
その環境に居る人たちの世界へと狭くなり始めている。<br />
この狭くなったカオスティックなファッションの世界をビジネスマンたちは以前より、<br />
ヴァーチャル的にPCを使いこなしてSATE、BLOGGERそれにTWITTERSやFACE BOOK<br />
そして、e-コマースの世界によって<br />
より、ヴァニティなヴァーチャル体験をファッション世界の新たな『差異化』ヘ求めはじめる。<br />
　ここにも現代のファッションに興味を持ったエッジな覚めた世代には新たな”夢”の構造が読み取れる。</p>

<p>＊<em>テクノロジーについて再考。</em>　<br />
　もう一つ、歴史的な社会の進化を見るとこれが正当的なる新しさを誕生させ、<br />
そこにこそ、魅力を感じる”夢”が誕生するのではないか？という視点。<br />
それは新たな技術性／テクノロジーに目を向けることである。<br />
即ち、“差異”、これは消費社会の必然的価値要素であることには変わりがない。<br />
洗濯機も掃除機も冷蔵庫も新たなテクノロジーに可能性がある分だけ今後も、<br />
｢新商品｣が開発され、結果、ニューデザインが必要である。<br />
　この新しさを考えた場合、<br />
ファッションの世界では『テクノロジー』が今後の唯一の大きな可能性。<br />
従って、これからのファッションの世界も、『テクノロジー』と『エステティック』<br />
それに『自分の世界観』から生まれる『問題意識』。<br />
この三位一体の発想とそれらの調和観によって新たな好奇心が”夢”あるクリエーションを産む。<br />
此のバランスが、極めて自分的かつ、社会的であれば”時代”が表現出来る、時代に恩返しが出来る。</p>

<p>　ここでは在り来たりの”エゴ”に頼ってはいけません。<br />
現代社会が既に構築してしまった、個人が持ち得たパーソナルメディアの結果、<br />
我々の社会は『POPの泡沫化』でしかないのですから<br />
個々のエゴは普遍化し当然ですが、類似化するしかないのです。<br />
そして、最後は消滅してしまう迄の時代性が現代。<br />
ですから、ありきたりな人並みな生活現実から生まれる”エゴ”には<br />
もう然程、創造性高きカオスは望めないでしょう。<br />
ここで、”自分の自然体”への月謝が払われるか？責任感が？、という人間の倫理的なるレベル問題にも。<br />
だから、”エゴ”と称されるレベルは只の”業”でしかない。<br />
従って、純な”エゴ”を他者より多く例えば、200％出せばそれは社会へ届く可能性があるという事。<br />
ここに個人の持ち得る『夢』の在り方と立場が、想いが生まれる。<br />
そこでは、何のために、誰のために、自らの”エゴ”を持ち出すか？が、大切な創造者としての立場でしょう。<br />
ここで、『テクノロジー』と『エステティック』それに『問題意識』、<br />
この三位一体のためにカオスとしての”エゴ”が新たな”夢”を創世すると信じたい。</p>

<p>　此の様な時代性になってしまうと、<br />
『テクノロジー』はヒューマニスティックなバランスを超えてしまっている。<br />
『テクノロジー』を認めない、認めたくない人たちが<br />
『良心的環境主義者』としてその自らの立場を肯定し始めている。<br />
結果、『テクノロジー』についての意識が、技術が思いが、<br />
”形骸的な、人と違ったモノを”の軽いノリでデザインしてしまって<br />
今、服を作る若い人たちに欠如している。<br />
　例えば、自分の『手』を信じられる迄に手を使って来たのか？<br />
使いたいのか？修練して来たのか？<br />
も、一番解り易い自分自身が持ち得た『テクノロジー』の一つ。<br />
只、絵型を書いて工場や振り屋さんへ委ねて出来上がって来たモノが作品又は商品。<br />
この世界からもう数歩も自分らしさで『テクノロジー』について<br />
思いと、学習と関わりを持たなければ”夢”あるモノに近付けないだろう。</p>

<p>　即ち、【ヒューマンテクノロジー】の世界、あるいは、【アルチザン-テクノロジー】。<br />
それと解り易い【サイエンステクノロジー】の世界。<br />
これらの調和観。<br />
”自我”もテクノロジーの変容器官の一つ。</p>

<p>　ファッションの場合の『テクノロジー』は<br />
その殆どが”素材の開発”に委ねられ、目を向けられていますが、<br />
本当は、服を作ると言う工程を分解すれば、<br />
”縫う、編む、折る、切る、貼る、繋ぐ、明ける”などの<br />
諸技術が必要になって造られるのが１着の”服”であるはず。<br />
　もう一つ、着る”身体”にも『テクノロジー』は存在している。<br />
身体の”構造機能、拡張機能、性機能ともしかしたら、こゝろにも”。<br />
例えば、”テクノロジー”は資本主義が消えても、社会主義が消えても国家が無くなっても<br />
残り動き続けて存在して行くものでしょう。<br />
最近の好例では、”ダイソン社の新しい扇風機”ですね！！</p>

<p>　或る意味で『危機の時代』。<br />
すべての根拠が失われ始めた現代と言う「POPの泡沫化現象」状態下で<br />
”夢”ある新たなものを創ると言う行為を開始するとしたら<br />
『テクノロジー』に懸け、委ねる事が新たなる勇気ある選択、<br />
これこそが新しい時代を生む迄のエッポクメイキング足りうるでしょう。<br />
　ファッションの人たちに今欠如している眼差しの一つに<br />
この『テクノロジー』への関わり方があるのではないだろうか？</p>

<p>　どうしても、『素材』そのものの新しさに委ねてしまって<br />
服を作る事の『本質』を考えた『テクノロジー』が欠如してしまっている。<br />
新たな『テクノロジー』と新たな発想での『バランス-オブ-テクノロジー』が生まれなければ<br />
所詮、ファッションはすべて、ここ１世紀を超えても未だ、『WRAPPING』／包装紙の領域。<br />
（最近のCdGを見ていても残念乍ら、これは感じてしまう）</p>

<p>　身近かな現実で言えば、<br />
『手』に委ねられた“MICRO POP"現象の一つとして、<br />
若い世代の『リ-メイク』がより、一般化している。<br />
『リ-メイク』を製品化するための請負工場迄、現在では出来ている。<br />
バリエーションの世界で言えば、<br />
今後はブランドモノのリ-メイクから、ラグジュアリーモノのリ-メイク迄が。<br />
これらの『リ-メイク』の服に対する自由なる発想を元にして<br />
新たな考えられる、いろいろな『諸テクノロジー』と<br />
そのバランス観が『リ-ミックス』されれば、<br />
この現在の閉鎖的なるファッションの世界にも<br />
新たな、豊穣なる世界観が誕生するのではないだろうか？<br />
そして、新たなる『夢』が生まれる。</p>

<p>　考えてみれば、<br />
この発想による世界観は従来の日本人が最も得意とし，<br />
発達させて来た分野では無かったのでは？<br />
「パクれるものはパクって」<br />
そこに自分たちだけの発想のテクノロジーが使われていれば<br />
それはもう、オリジナリティを持ち得る迄の現実にそしてビジネスに。<br />
　極論で言ってしまえば、<br />
『ファッションにおける日本式ケイタイを創る』可能性からスタート。<br />
そして、ファッション版”ダイソン社の新しい扇風機”を考えよう。</p>

<p>＊<em>　まとめ；</em><br />
『共棲資本主義』と『分かち合いのある社会』そんな社会のためのデザインを考えたい。<br />
1）２０世紀の独占資本主義が今世紀も続いていいのだろうか？<br />
変わらぬ金権主義な社会構造の下での価値観は多分、芽新たしさのみであろう。<br />
2)　そこで現在の社会的不安や不信又、含羞なきモラルをその根底として来たるべき新たな時代の社会を考えて見る。<br />
もう一度”夢”を探して下さい。<br />
3)　そして、持ち得たそれぞれの自由の裁量とそこからの気概と希望を拠り所とした”小さな社会”を考えてみよう。<br />
4)　”生かされている人間としての自分”がスタート。<br />
謙虚で開かれた真こゝろを持って、想い合うこゝろと信じ合うこゝろ、助け合うこゝろ，分かち合うこゝろ、<br />
そんな愛在るこゝろの在り方を信じ，生きて行ける世界を念い考えて下さい。<br />
5)　そのような世界で、社会で自分は何が出来るのか？したいのか？すればいいのか？を<br />
もう一度深く悩み、考えて下さい。<br />
6)　そこに自分が好きな世界が、夢見る世界が存在していれば幸せですね。<br />
それが、ファッションであっても，羊飼いであっても。<br />
7)　”謙虚、誠実そして、爽やかに”　自心で自心を豊かに、ご自分の調和観で成熟させて下さい。<br />
番外）後は、総てが”方法論”のバリエーションでしかありません。<br />
ありがとう。<br />
　参考／<br />
日本繊維機械学会：http://wwwsoc.nii.ac.jp/tmsj/japan/index.html<br />
テクノ手芸ウエブ：http://www.techno-shugei.com/<br />
Dashing Tweeds : http://www.dashingtweeds.co.uk/<br />
Dr.Jenny Tillotson : http://www.smartsecondskin.com/main/<br />
WearAbleTechnologies : http://www.loop.ph/bin/view/Openloop/ WearAbleTechnologies#NEW_developments<br />
St.Martins College of Art & design : http://www.csm.arts.ac.uk/<br />
Elisabeth de Senneville /art-couture : http://www.e2senneville.com/</p>

<p>BOOK/"Body extensions"/ARNOLDSCHE刊Claudio Pantellini他、展覧会カタログ</p>

<p>UNDER COVER :特に、 ２シーズン前のメンズコレクション<br />
ROMAIN Kremer: 此処数シーズン来の彼の世界観。<br />
RAF Simons: "RAF-IZM"が健在。<br />
瀬尾英樹：彼の卒業コレクション<br />
Elisabeth de Senneville :ART COUTURIARシリーズ<br />
"Zeitsprung"/ 2003</p>

<p>文責／平川武治</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>或るファッション学生への手紙。／　少し前の、Gallery FAKEでの作品展で。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2010/06/gallery_fake.html" />
<modified>2010-06-14T15:14:02Z</modified>
<issued>2010-06-14T15:07:17Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2010://2.196</id>
<created>2010-06-14T15:07:17Z</created>
<summary type="text/plain">　わざわざのメール、ありがとう。 その後、機嫌良くやっていらっしゃいますか？ 僕...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>　わざわざのメール、ありがとう。<br />
その後、機嫌良くやっていらっしゃいますか？<br />
僕はあなたの作品が好きでした。<br />
あの中では僕が感じた一番正直な真面目な作品で、勇気がありました。<br />
レベルの問題等はいろいろあるでしょうが。</p>

<p>　初対面でのあの様な発言、少し唐突であったようですが、<br />
あなたの持っていらっしゃたご自分の夢に対する”勇気”と“本意”が感じられたので<br />
僕もうれしくあのように喋ってしまいました。<br />
僕流に言えば、大半の人たちが”烏合の衆”。<br />
言われた事の範囲のなかでやっている程度。<br />
それっぽい所でそれっぽい事をして、<br />
そのレベルで”自己満足”または“自己肯定”をして<br />
お互いの”傷”を舐め合っている様な奇妙なレベルと環境でした。<br />
僕の一番嫌な世界。（そのために２００円にディスカウントされた飲み物、チープですね。）<br />
　<br />
    それに、あの空間自体に美意識も与え無く、<br />
それぞれの”勇気無き自己肯定”がひしめき合っているだけ。<br />
だから、いらした、例えば、あなたのご家族のように”学園祭のノリ”レベルに捕らわれる原因でしょう。<br />
（まあ、学園祭なのですがね、多分ご家族はもっと違う所のレベルを想像なさっていらしたのでしょう。）<br />
　知性と気概を持ってそれぞれの責任を果たして日常生活をなさっている人たちの眼を馬鹿にしてはいけません。</p>

<p>   残念乍ら、すべてがあの学校とやらに携わっている先生と呼ばれている人たちの<br />
”なま/生”が良きも悪くも出ているだけの現実というのが僕の眼差しでした。<br />
個人の経験を売りにするのならその経験の継続とディシプリンと<br />
人間としての”生”への考え方としての”本質”を問う迄の”好奇心”が大事でしょう。<br />
その”本質”が甘いのでしょうか？<br />
その”好奇心”がないのでしょうか？<br />
又は、そう、思想がないのでしょう。<br />
何か後ろに、或る種の”下こゝろ”を感じてしまいました。<br />
これは、教える側にも教わる側にも。</p>

<p><br />
　さて、あなたの作品についてはあの時にいろいろ話した事で充分ご理解頂いていると。<br />
もう一度,『人間の拡張』/『Extensions ＆ Expansions of the human Body』を！！！<br />
これからの人間が遭遇するまたはしなければならない、<br />
持ち得なければならない環境と状況を、生活シーンを考えての<br />
あり得るべき”人間”としての可能性を夢を。<br />
”ボディというロマンティックな世界へ”委ねて下さい。<br />
（今を見ているだけの人はここにトレンドが気になるのです。）<br />
　<br />
　もう、男、女のレベルでの問題意識の時代の盛りは過ぎました。<br />
今の２１世紀に僕たちが考え思い果たさなければならない事は<br />
「人間と人間性」とその「新たな役割と責任」そのための環境と社会を思い合う事。<br />
その時に『分かち合い』のこゝろがやはり、２０世紀と違って大事ですよね！！<br />
そこで、新たな『身体の拡張』性/『Extensions ＆ Expansions of the Body』が一つのヒント。<br />
しかし結局は、”人間の身体が、こゝろを、時間を、思想をそして、夢を、”<br />
【着る】ものが『服』ですからこれしかないでしょう。<br />
ここに行き着くはずです。</p>

<p>　望むべき環境と社会との『Extensions ＆ Expansions of the Body』の<br />
一つのシンボルンまたは、コードとしての『ストッキングを素材に』<br />
どれだけの両義性を持たせるかによって｢服｣そのものに深みと広がりが出て来る。<br />
その“両義性”を何によって、どのような素材または、コンテンツと<br />
どのようなテクニックを使い合わせられるか？などによって表現する、<br />
そこに”創造性”が発芽する。(ここでリサイクルストッキングを考える事は、案外時代性の一つでしたね。）<br />
それを形に出来るこゝろの想いと技術が最後に製品にする。<br />
そして、始めて自分以外の他者に関われる。<br />
関係性が生まれる。<br />
自分の造った物によって！<br />
ここに“気概”が生まれ<br />
それぞれがポジティフな関係性と行為によってエントロピーが働く。</p>

<p>　このプロセスをもう一度あなたのピュアーの眼差しと勇気でもって<br />
ご自分の学び持ち得た世界観でお考えになって下さい。<br />
理屈は後付けでいい時代性です。<br />
今始めれば、大丈夫です。（”プロパガンダ”をご存じなかった程の純粋が残っていらっしゃったあなたですから。）<br />
未だいっぱい、あなたはあなた自身の時間と勇気を持っていらっしゃるのですから。</p>

<p>　夢を持ち続けて下さいね。<br />
"Just Do It!! <br />
And Never Give up!! through your force & body for  human beings”</p>

<p>　ありがとう。<br />
あの場所で、あなたが一番勇気があったので<br />
此の様なメールを差し上げる関係性が生まれました。<br />
残念乍ら他の人たちは（もう一人いらした、）<br />
あなたが持っていた”自分の夢に対する責任感と勇気”が無く、<br />
唯、在るように見せるためのコンセプトや理屈や恰好付けを、<br />
そんな立場を作っているに過ぎない，<br />
ファッションごっこに戯れる<br />
只の古いタイプのファッション人間たちに憧れている輩？</p>

<p>　例えば、「星の王子様」。<br />
日本人が大好きで一度は読むものでしょう。<br />
もう一度読み直す事も良いかも。<br />
『むやみに、大人ぶる事に煩わされてしまって、かつて子供だった事を憶えている大人は少ない。』<br />
と言う様な事があの物語のコンテンツだったはず。<br />
そして、王子様が置いてきぼりにした一輪のバラの事を想い出すこゝろ。<br />
ここに『分かち合い』や『想い合い』の本質が、共棲精神が。</p>

<p>　風と行き来をし，雲からエネルギィイを。<br />
ご自愛とお励みを。<br />
文責／ひらかわ：</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>discipline会のご案内</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2010/06/discipline_3.html" />
<modified>2010-06-18T00:37:53Z</modified>
<issued>2010-06-07T16:35:12Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2010://2.193</id>
<created>2010-06-07T16:35:12Z</created>
<summary type="text/plain">&quot;心地よい風と陽の戯れが爽やかさを 　　今日の１日の感謝すべき、さりげない贈り物...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>information</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>"心地よい風と陽の戯れが爽やかさを<br />
　　今日の１日の感謝すべき、さりげない贈り物。”</p>

<p>こんにちは。<br />
ご無沙汰をしていますが、みなさまお元気でご活躍のことでしょう。<br />
久しぶりでいつもの『discipline会』をやりたくなりました。<br />
お時間のある方、気に掛る人、好奇心ある方々、<br />
どうか、ご一緒に考えてみませんか？<br />
皆さんのご意見もお伺いしたいのです。</p>

<p>変わらぬ、のっぺらぼうな日本の『豊かな、難民たち』<br />
パラサイトという言葉も埋没してしまった穏やかさ。<br />
アナーキーやニヒリズムも退化した無情の輩たち。<br />
一向に退化しない外国人コンプレックス。<br />
バニティなモードの世界もより、おバカさんたちが。<br />
久しぶりで３ヶ月近く居た日本は僕にはこのようでした。</p>

<p>『分かち合いのデザイン』というテーマで<br />
新しい時代へのデザインが、<br />
そこに携わる人たちが<br />
何が出来るかを考えています。<br />
『分かち合い工学』と言うデザイン-カテゴリイを本気で！！</p>

<p>その発端は昨年の１年から、<br />
『Woodstock Rock Festival ４０周年』と<br />
西アフリカ、マリ共和国への旅。<br />
そして、『共棲資本主義』という発想。</p>

<p>モードの人々の喪われている事の一つに『含羞』があります。<br />
弄んでいる事の一つに『謙虚さ』があります。<br />
そして、遅れている事の一つに<br />
『テクノロジー』があります。<br />
新しいテクノロジーは全てに新しい可能性をもたらします。<br />
例えば、洗濯機や掃除機は<br />
諸技術の発達によって未だ未だ、新しさが誕生し得ます。<br />
ビジネスにも可能性が生まれます。<br />
モードの世界は『テクノロジー』を素材により何処って居るだけの<br />
変わらぬ『WRAPPING』バリエーション。<br />
勿論、服を縫製する時点でのいろいろな『手法』も分解してみると多くの技術が介在します。<br />
『ヒューマンテクノロジー』と『サイエンステクノロジー』の<br />
考えられる新しきバランス化。<br />
もう一方で、<br />
着る人間の身体の『テクノロジー』も考えなければならない時代性が。<br />
ここにしか、今後のモードにおける所謂、<br />
『新しさ』は登場し得ないでしょう。</p>

<p>ここに僕は<br />
『共棲資本主義』におけるデザインを考え<br />
『分かち合い工学』を想い<br />
『分かち合いのデザイン』を叫びたくなったのです。</p>

<p>みなさま、<br />
『好奇心』を感じられたら、是非、ご一緒しませんか？</p>

<p>=============================================================</p>

<p>■日時：　６月１７日（木）　18：30-21：30　</p>

<p>■ゲスト：</p>

<p>柴田ジュン／<br />
アーティスト。97年渡独。<br />
ドイツ、ベルリンにてアーティスト活動を開始、インスタレーションやパフォーマンスを中心とした作品を発表。<br />
2003年帰国。国内外にて活動中。</p>

<p>三上善司／<br />
2005年、江東区清澄白河に現代美術ギャラリー、ZENSHI を開廊。<br />
2009年、千代田区神田岩本町に移転。<br />
国内外経験や学歴は問わず、骨のある若手作家を中心に展覧会を企画・開催する。<br />
東京都府中市のギャラリー、LOOP HOLE の共同ディレクターでもある。<br />
<a href="http://zenshi.com" target="_blank">http://zenshi.com</a></p>

<p><br />
たくさんのご来場、ありがとうございました！</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>チェ・ゲバラの言葉を思い出し、私たちも、黙祷を捧げましょう。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2009/08/post_10.html" />
<modified>2009-08-06T13:04:45Z</modified>
<issued>2009-08-06T04:40:36Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2009://2.165</id>
<created>2009-08-06T04:40:36Z</created>
<summary type="text/plain">『　なぜ、こんなことをされても日本はアメリカの言いなりなのだ!　』 エルネスト・...</summary>
<author>
<name>editor</name>

<email>saito@withassistant.net</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>『　<strong>なぜ、こんなことをされても日本はアメリカの言いなりなのだ!</strong>　』</p>

<p>エルネスト・チェ・ゲバラ/広島原爆記念館見学の言葉。</p>

<p></p>

<p>みなさま、<br />
今日は６４年前、世界で始めて<br />
広島に原子爆弾が投下された、『広島、原爆記念日』です。<br />
私たちも、黙祷を捧げましょう。</p>

<p>無残に、犠牲者になられた人たちのご冥福と共に、</p>

<p>忘れないために。<br />
繰り返さないために。</p>

<p>私たちの国を想うためにも。<br />
世界を考えるためにも。<br />
私たちも、黙祷を捧げましょう。</p>

<p><br />
『　なぜ、こんなことをされても日本はアメリカの言いなりなのだ!　』</p>

<p>そして、もう『アメリカ印の日本』を捨てましょう。<br />
「アメリカ印の国体」を<br />
私たちの、</p>

<p>『日本印の国体』に戻しましょう。</p>

<p>今がいい機会です。<br />
勇気と共に：</p>

<p>平成２１年８月０６日：<br />
鎌倉にて、<br />
ひらかわたけはる：<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>お釈迦様のお誕生日に、　『関係性』と『根拠性』を想う。－１－</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2009/04/post_8.html" />
<modified>2009-04-09T16:08:41Z</modified>
<issued>2009-04-07T15:55:54Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2009://2.156</id>
<created>2009-04-07T15:55:54Z</created>
<summary type="text/plain">今日はお釈迦様のお誕生日です。 『花祭り』の日です。 僕にも思い出があり、 小学...</summary>
<author>
<name>take.Hirakawa</name>

<email>take@lepli.org</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>今日はお釈迦様のお誕生日です。<br />
『花祭り』の日です。</p>

<p>僕にも思い出があり、<br />
小学生に上がる前だったころ、近くの四天王寺さんの境内に<br />
花で飾られた子供時代のお釈迦様の像にお水を掛けに行き、<br />
その帰りに甘酒を貰って帰ってきました。</p>

<p>これが子供の頃にはうれしく楽しい春の訪れを知る行事でした。<br />
その後は、小学校へ行くようになると始業式がいつも、この日か、もう一日前の７日なので<br />
『お釈迦様のお誕生日』は僕には忘れられない日になっていました。</p>

<p>キリストの誕生日にはあんなにはしゃぎ回る日本人になってしまったのに、<br />
お釈迦様のお誕生日は忘れている人も多いでしょう。</p>

<p>これが、今の日本人の心の根拠性の原点の一風景かもしれません。<br />
『残念ですね。』<br />
『悔しいくも想いますね。』</p>

<p>日本人の心の中に宗教心がなくなり始めてどれぐらい経ってしまったのでしょうか？<br />
その宗教心がなくなって、僕たちの国はどのように変わってしまったのだろうか？<br />
「気骨」や「気概」とか、「羞恥」や「含羞」という言葉が<br />
「謙虚さ」や「思いやり」というこころの在り様が<br />
実社会から完全に近い形で忘れ去ってしまうほどの、<br />
現代社会になってしまったのでしょうか？</p>

<p>代わって、<br />
消費社会を肯定する方法としての「消費文化」とそれをいじくり回す肯定論。<br />
自分自身を唯、唯この消費社会へプロパガンダすることのみに<br />
安価に、身近になった情報と「時間と自由とこころ」が使われ<br />
今にウケたいと言う行為としての自己宣伝のための生き方。<br />
そのこころは？<br />
その「根拠性」とは？</p>

<p>モノにも、人にも生まれと育ちがあります。<br />
それらが持ち得た「根拠性」を確りと学び知ることが大切です。<br />
それが教養であり知識であり教育であり、経験です。</p>

<p>有り余るほどの物と行為。<br />
これらを選び選りすぐって<br />
自分にとって必要なものや事そして人を選ぶためにも「根拠性」はその根源でしょう。</p>

<p>以前に「もっと深層を」。<br />
『表層のみにとらわれる』のではなく物には必ず見えていることがあれば<br />
そのものには見えないものがある。<br />
だから、もう少しゆっくりとこころと時間と自由を賭けて<br />
物の「深層」を見るようにしましょう。<br />
それが大切だと。<br />
「深層」を知ることとは<br />
それぞれの「根拠性」を知ることです。</p>

<p>以前に、『いらないものは捨てましょう』を書きました。<br />
『いらないものを捨てる』ためにも「根拠性」が必要になり、必然性を持つのです。<br />
その時に『宗教心』が必要になるのです。</p>

<p>いいですか？<br />
自分の持ち得た『エゴ』を捨てることが<br />
これからの時代を救うことへ通じる<br />
唯一の、<br />
誰でもが出来うる大切な人間としての『行為』なのです。</p>

<p>この人間としての行為の内なるに『宗教心』が。</p>

<p><br />
今日は４月８日。<br />
お釈迦様のお誕生日です。<br />
『お花祭り』の日です。</p>

<p>お祝いをしたい人は近くのお寺へ出掛けて御覧なさい。<br />
掌を合わせてください。<br />
自分の心の前で。</p>

<p>ここに真こころが在ります。</p>

<p>『合掌』</p>

<p>ありがとう。</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>今日のCOMME DES GARCONSの巴里コレクションを見て想ったこと。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2009/03/comme_des_garco.html" />
<modified>2009-03-08T01:34:48Z</modified>
<issued>2009-03-07T23:01:42Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2009://2.153</id>
<created>2009-03-07T23:01:42Z</created>
<summary type="text/plain">　巴里コレクション’０９/&apos;10-A/Wにおける今日の『COMME DES GA...</summary>
<author>
<name>take.Hirakawa</name>

<email>take@lepli.org</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>　巴里コレクション’０９/'10-A/Wにおける今日の『COMME DES GARCONS』のショーは久しぶりに深くゆっくりと感動したコレクションだった。<br />
　その作品群は近・未来観を確実に感じさせる想像性豊かで、人間味溢れる距離感から丁寧に穏やかにそして、細やかに着る女性のために素材が選ばれ縫い合わされ、それらを自由な優しさの発想で着る女性を想う心でデザインが為されたコレクションだった。そこに僕が以前から考えていた『CARE/CURE』という新たなコンセプトが彼女によって見事に時代を先取りし、具現化され始めたと読んだ。</p>

<p>　世界恐慌の時期であるが、時代は確実に新たな可能性を、それぞれが持ち得た関係性の継続のために委ね始めたと読めるであろう。<br />
もし、自分が勇気を持って与えられた自由さをその創造性の為に使うならばいつの時代も確実に新たな可能性が創造される。</p>

<p>　この日の朝、９時半という早い時間に行われた『JUNYA WATANABE』のショーはオペラ『トスカ』の頭と終わりの部分を趣味良く、気分よくそれ以上に新鮮なコスチュウムとして出てくるもの皆が、「It's so special!!」なコレクションだった。<br />
時代の捉え方と女性への想いと自らが持つ創造性を彼もまた、見事に明日からそれなりの女性はきっと待てずに着たくなるまでの服に仕立て上げ、演出されたコレクション。この彼のデザイン性の根底にも『PROTECT/PROTECTION』から『CARE/CURE』というこれから主流になろうコンセプトが読める。</p>

<p>　僕が想う『CARE/CURE』とは、これからのモードが馬鹿げた騒々しいバニティーな一方向性から、着る女性を優しさのジェンダーへ、人間的なる次元へ、『健康、安心、安全とそのための快適性』へ向かうこと、そして、それらは新たな服が持つべき『役割』であり『機能性』であると考えるまでのデザインコンセプトが『CARE/CURE』なのです。このコンセプトをどのような素材を選び、加工し、合成してそれらをどのようにデザインするか?　これがこれからの新たなモードに求められる豊かな生活者たちのためのデザインコンセプトであろう。<br />
　<br />
　自分たちが着たい服を着ることによって、身体と心と性を健康、安心、安全とそのための快適性を与えるまでの発想が必然的な時代性となるだろうという考えなのです。<br />
単純に考えてみると、ジーパンが５０年代に作業用の衣類でしかなかったのが’６０年代終わりから音楽というメディアと伴により、一般化し始め’８０年代にはファッション化されそして、現代までに受け継がれていることを改めて考えてみるとジーンズはまさに、この着る服によって、『健康、安心、安全とそのための快適性』を主軸にデザインされ続けられてここまで来た完成品といえるだろう。</p>

<p>　今後のモードにおける新たな創造は素材ありきの世界になってしまう。<br />
着る人間性を考えた、身体と心と性のために『健康、安心、安全とそのための快適性』を思う時、どのような素材を選ぶかが先ず、第一の大切な初期創造である。素材に可能性を委ねるデザインがしばらくは必然的な創造性へと導くであろう。タダの形骸的なデザインはもう疲れる。</p>

<p>　このような近未来のモードへの眼差しを持った僕は今日の『COMME DES GARCONS』のコレクションはその先駆けであったのでより、深く、静かに感動してしまった。<br />
　”ありがとうございました、川久保玲様。”</p>

<p><br />
【参考】ーーーこの原稿はほぼ、２年前に書いた雑誌［Le Pli－１号]のためのものです。<br />
<strong>特集『CARE/CURE』</strong><br />
プロローグ；</p>

<p>　　<em><strong>「　心ある贅沢は安心をまたは、豊かさを『CARE/CURE』する。」</strong></em><br />
　<br />
『星の王子さま』を読みましたね？ 毎日、自分の大切なものに、育てる責任と喜びを、想いをそのために毎日、小さな木に『水』をやる王子様。 これが『CARE』の初元でしょう。そしてその行為が『幸せ』 何のために『CARE』をするのか？ 『継続』のためです。 それぞれが想い持ち得た責任と行為の対象としてのその当事者でしか理解出来なくても良い『関係性』を『継続』させるために、 ぼくは『CARE』を考えています。 </p>

<p>＊＊<br />
　私たちが生きてゆく間には、いろいろな、たくさんのすばらしい人たちとの出会いが在り、そこに彼らたちとの共有できる贅沢な時間があって、 それが何らかの形で自分の為すべき事、他者に出来る事としての『仕事』に関わって行く。 この『関係性』が大切です。この繰り返しが大切です。 僕たちが生きて行くという事の確実な根拠性の一つです。  </p>

<p>＊＊＊  　<br />
　今、僕はキリスト教よりもキリスト自身が何のためにあのような行為をしたのだろうかを考えます。 <br />
その一つの答えに『関係性』が在ります。<br />
これは多分、総ての宗教の根源の一つでしょう。 <br />
何よりも大事なのは個々の『関係性』の積み重ねです。<br />
その中には神との関係もあります。 イエスは、『関係性』が総てである事を身を以て示しました。 あくまでも人と人との『関係性』＝『愛』と言い換えてもいいと思います。---が総てである事を身を以て示そうとしたのではないでしょうか。 　<br />
　つまり，イエスがやろうとした事は，人間が作ったものである「国家」や「貨幣」に，逆に支配されてしまっている状況を『関係性』によって破壊しようとした。それを貫くには磔になって死んだ方が後世までも伝わり効果的であると判断したという事です。<br />
そこに信仰心が生まれたのです。 </p>

<p>＊＊＊＊<br />
　「CARE】することとは？<br />
一番単純な形としては「水」をやることだと想います。<br />
豊かさを享受された社会に育む個人、個人は“より豊かさへ”という自己拡張のための自己確認行為へ「水」を施す。</p>

<p>＊＊＊＊＊ <br />
　時代性は『保守化の上書き』。<br />
消費文化という価値観の元での与えられた気概は興味，好奇心の拡大化、肥大化とそれらのガゼット化とキッチュ化。このような時代性の元における一番大切な究極の『関係性』とはより確かさを欲望する。<br />
一つは、人間としての“肉体と心”そして、”自然”との関係性。他方，大切なのが友であり、恋人であり“家族”という『関係性』ではないでしょうか？<br />
それらの『関係性』は自分にとって大切なもの、重要なもの、信頼すべきもの、可能性あるもの、便利なもの、不思議なもの、楽しいものそして、愛あるもの、心あるものなどいろいろなレベルの『関係性』があるでしょう。 そこで自分が持ち得た、または、結果、選んでしまった『関係性』をどのように『継続』させて行くか？ 関係は友人、恋人、会社や都市、この最初に『家族』が在るのでしょう。<br />
また職業もこの『関係性』から生まれるものでしょう。<br />
　<br />
自分自身の内なる『関係性』を求めながら、その自分が大切にしたい『関係性』しなければならない『関係性』を対＝人間、時間、空間、それに自然と季節感や地球と人間としての「五感」そして、モノ＝。<br />
これらとどの様に関り『継続』してゆくか，行かなければいけないのか？そのためにはどのような，どんな『CARE/CURE』が必要なのか？ <br />
自分にとって大切な『関係性』を『継続』させて行くための心在る、思慮深き行為の一つに『リピート』という方法としての行為があります。 その行為を与えられた時間としての『生』において、どのように具現化して行くか？ これが、人が言う『人生』なのでしょう。 僕はここに"CARE"という言葉を感じました。<br />
自分らしい行為としての責任ある『CARE/CURE』は自分が望む大切な，大事な『関係性』を唯一、昇華させ継続させる目的であり、手段でもあるでしょう。 </p>

<p>　<strong>『 心に楽しく　身体に優しく。－CARE/CURE 』 </strong> 　</p>

<p>　「豊かな生活」を継続してゆくためのデザイン。<br />
「豊かさのためのデザイン」から「豊かさを継続してゆくためのデザイン」を考える時代へ。<br />
では、どのようなデザインが欲望されるのでしょうか?</p>

<p>その時，『創造性』と『装飾性』はそして，『機能性』は何を新たな価値観として、“ニュー・スタンダード”として考えなければならないのでしょうか?<br />
何が「デザインの本意」となるのでしょうか? <br />
『不変なる身体』と『欲望』の関係性からの『継続』。<br />
その為にしなければならない新しい時代に生きる人間として考え、行為する為に、<br />
モードの世界に於いても『CARE/CURE』を考えませんか？　</p>

<p>「　心ある贅沢は安心をまたは、豊かさを『CARE/CURE』する。」</p>

<p> ＊＊＊＊＊＊  　<br />
　「　彼は自分自身の好きな対象を培い、養い、そして面倒を見て世話をする。　<br />
対象それ自体を豊かにしようと努め、自分の好きな対象との間に築かされた関係性によって自分自身を培っていこうとさえする。」 <br />
これこそが『象徴の関係なのです』 <br />
出典／『愛好者（AMATEUR)』をめぐって。 デジタル　デヴァイスによる『クリティカルスペース』創出の試み：ヴェルナール　スティグレール／１１th. July ’０７/東大駒場キャンパスにて： </p>

<p>エピローグ；<br />
　ポッチェルリの「ヴィーナスの誕生」を思い描いてください。<br />
中央に誕生したばかりのヴィーナスが、その左右に若きミューズが見守っています。<br />
その右側のミューズの行為の心は『CARE/CURE』そのものです。<br />
美しい花の刺繍が施された上質の布を誕生したばかりのヴィーナスへ。<br />
文責/平川武治：Dec.'07<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>　聖バレンタイの日に；『あなたは、与えられた自由を何に使っていますか？』</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2009/02/post_5.html" />
<modified>2009-02-15T13:32:24Z</modified>
<issued>2009-02-14T13:14:29Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2009://2.152</id>
<created>2009-02-14T13:14:29Z</created>
<summary type="text/plain">今年の僕のテーマは、 　　　　『あなたは、与えられた自由を何に使っていますか？』...</summary>
<author>
<name>take.Hirakawa</name>

<email>take@lepli.org</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p>今年の僕のテーマは、</p>

<p>　　　　<strong>『あなたは、与えられた自由を何に使っていますか？』</strong><br />
 <br />
みんなが、与えられ、人間として持ち得た『自由』を<br />
どのように使おうとそれこそ、『自由』。<br />
その『自由』を何のために、どのように使うかがその人の人間的なるレベル。</p>

<p>これからのこの21世紀における目標とは、『質』のレベルの昇華作用でしょう。<br />
『生活の質』、『労働の質』そして、『環境の質』と『感覚の質』。<br />
これらの『質』の成長を先ずは、個人のアイデンティティのレベルで<br />
バランスよく自分らしさの元で高めること。<br />
次には、この質を持って世界レベルでの他者との大切な関係性が<br />
次なるレベルへ昇華できるような「こころの根拠」として持ち得、<br />
世界と共有し得るまでに。</p>

<p>即ち、<strong>人間生活本来の【贅沢の質】の成長を想い、智慧を使い、考え行動してゆく時代性。</strong></p>

<p>自分にとって　持ち得たる大事な『関係性』をどのように『継続』してゆくか、「継続」できるか？<br />
そのためにのみの、『質』のレベルの昇華作用が、<br />
時間が、経験が、社会が大切になる今世紀の時代性でしょう。 <br />
今年という時代はその入り口へ辿り着いたとき。</p>

<p>例えば、モードの世界でもこの現象は来ていますね。<br />
もう、嘗てのアントワープ系のような、ただ「エゴ」でのものつくり、<br />
理屈ばかりの形骸的な服作りは疲れますね。<br />
コンセプトと称した個人のエゴとお絵かきからのデザイン行動はもう辛く旧く感じます。<br />
人は服からも安らぎと安心と快適さそして、健康の質を<br />
そして、人間性までをより、贅沢に求める方向でしょう。<br />
そのための素材選択であり、その素材を生かしたシルエットと機能性とイメージングを<br />
どのような人間的な心と智慧で持って考え作るかの時代でしょう。</p>

<p>「根拠性」が大切だという視点では「糸」が大事です。<br />
獣・羽毛、植物系天然繊維、合成繊維、高分子繊維、加工処理繊維、後加工処理繊維などと再生素材、古着、旧生地利用など、そして、機械織り、手織り手紬等、など。<br />
どのような「質感」と「ふうあい」そして、「機能」ある素材を選ぶか？<br />
これが先ず、クリエーションです。<br />
ここにファッションにおける今後の【新しさ】が存在するだけ。<br />
その選んだ素材をどのようにそれなりに丁寧に料理するか？<br />
美味しく、味わいたくなるような味付けをしてあげられるか？<br />
そして、食べたくなるような盛り付けと幸せになるまでの雰囲気つくりまで。<br />
これを『服』の世界でも考えてください。<br />
（<em>A.アライアの世界。LANVIN,エルバスの世界。R.シモンズの世界。<br />
そして、今シーズンではKolorの世界など</em>、）<br />
もう一方では、コラボというこの世界における協業システムの昨今もそうでしょう。<br />
そこには『関係性』と『質』を根拠とした『質の昇華化プロジェクト』でしかないでしょう。<br />
 （<em>最近のCdGの動き，JUNYA MANの世界など</em>、）</p>

<p>このモードの世界も本来は「自由の産物」であったはずなのに？<br />
なんだか、息苦しくなって来ていますね。<br />
あなたの『自由』の使い方の眼差しを変えてみませんか？<br />
20世紀の、前時代的な『自由』の使い方はその価値を見直してみましょう。<br />
貨幣経済がバーチャル貨幣経済へと変革しつつある今、<br />
あふれるモノや情報のさなか、<br />
結局はそれらによって、マニュアル化され、バニティへ奔り<br />
『飼い馴らされて』しまった僕たちは<br />
本当に大切なものを見きわめてください。<br />
自分に、家族に、他者にそして、街に、国に、地球にも大切な『自由』を<br />
流されるのでなく、諦めるのでもなく、<br />
真こころある想いある、思慮深い『人間の自由』を<br />
あなたの『自由』の使い方の眼差しを変えてみませんか？</p>

<p>これからは、『人間としての心と眼差し』が必要なる時代性がここまで来てしまったというところが私の時代に対する根拠性。<br />
『男の夢』、『女の夢』の単なるバニティなレベルではなく<br />
『人間の為さねばならない目標』のためのレベルへ。<br />
もう少し、持ちえた心を、学んだ事柄を、経験してきた時間を振ってみませんか？<br />
その為にも、あなたに与えられた『自由』をどのように使っていますか？<br />
自由をどのように使ってもタダです。<br />
先ず、『自由』に対する自己認識をしてください。<br />
「あなたには『自由』が授けられていると思っていますか？」<br />
 <br />
本来の人間としての『贅沢の質』を持つ事。<br />
これが私が感じる21世紀における本意。<br />
そこに自らの民族性と真こころを想いつつ。<br />
 <br />
これが私の今年のテーマ。<br />
 <br />
ありがとう。<br />
</p>]]>

</content>
</entry>
<entry>
<title>『　あなたは自分が生まれた国を深く、静けさの内なるへ想いを込めたことがありますか？　』　　　　　　　　　　　　　　新たな年、平成二十一年の初めへのご挨拶。</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://lepli.org/articles/2009/01/post_4.html" />
<modified>2009-01-05T08:24:16Z</modified>
<issued>2009-01-02T06:19:54Z</issued>
<id>tag:lepli.org,2009://2.151</id>
<created>2009-01-02T06:19:54Z</created>
<summary type="text/plain">『　美はすでに精神である。ものの命を求道するという上で、美観はまた道徳でもある。...</summary>
<author>
<name>take.Hirakawa</name>

<email>take@lepli.org</email>
</author>
<dc:subject>leplitake</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://lepli.org/">
<![CDATA[<p><strong>『　美はすでに精神である。ものの命を求道するという上で、美観はまた道徳でもある。贅沢という富の誇示ではない、つつましく敬虔な奉仕である。美、精神、それは道、道徳への謙虚な奉仕である。　』　</strong></p>

<p>『美術は大抵の時に、くらしの飾りものの一つである。しかしわが国のくらしでは、くらし自身が美しかったので、応接室に富を誇示するための美術品の展示は許されなかった。　千利休といふ人が、若干さういふ法式をつくったが、その精神には依然として、虚飾を否定する見識があった。』　　保田與重郎著『日本の美術史』より：</p>

<p><br />
<em>「　みなさま、昨年もいっぱいの感謝　ありがとうございました。<br />
あらたへの　自由性を信じたい今年、<br />
大切な関係性に真こころある１年でありますように。<br />
私の自由とは　人間のカオスの揺らぎ。　」</em>　</p>

<p>あなたは自分が生まれた国を深く、静けさの内なるへ想いを込めたことがありますか？</p>

<p>謙虚、誠実、爽やかと感謝。』<br />
平川武治　/ 平成二十一年正月元日：<br />
２４８－０００４：鎌倉市西御門１-１６-８：<br />
</p>]]>

</content>
</entry>

</feed>
