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年末から年始のLe pli日記風

:07JAN.03
新しい年に替わりもう、1週間以上が過ぎました。

それぞれが、それぞれの思いを持ってこの新しい年を迎えられた事でしょう。
今年はもう少し頻度を増して書くように努力しますのでこの1年を宜しくお付き合いください。
クリスマスを今年もチューリッヒで静かに、和やかに友人ご家族と一緒に迎え、昨年は久し振りのホリデーと洒落込んでクリスマス明けからモロッコのタンジェという僕が以前から一度は行って見たかったアフリカの小さな街へ出かけました。ここは映画『シェリタリングスカイ』の冒頭シーンの舞台になった街で、ヨーロッパが不景気で社会が不安になった30年代には国際無国籍都市として一番栄え、多くのアーチストや作家、詩人それに逃亡者たちを魅了させ50年代から60年代にはビートニックスや所謂、元祖ヒッピーたちがそして、僕の好きだったローリングストーンのB.ジョーンをはじめとする多くのロックミュージシャンたちと70年代ではこのモードの世界の人たちもこぞってこの街を訪れ、今でもY.サンローランはここに豪邸を持っていることでも有名、1年半前にはT.ケンゾーもここ荷を土地を買って家を建てているという魅力な街で巴里から飛行機で4時間ほどのジブラルタル海峡に面した漁村。僕は‘32年からここで棲みつき『シェルタリングスカイ』を書いたP.ボウルズを読み彼の伝記や91年に亡くなるまで離れずここで作家活動をしていたドキュメントフィルムを見てより行ってみたくなっていた所。今回のクリスマスホリデーで、もう一つここを選んだ目的は『太陽があるところ』『異文化の街』そして『時間がスローな所』そして、巴里からも然程遠くないという判断基準を持ってここにした。
ラフカデイオ・ハーンがかつて日本に住み着いて後に文に書き残したものの中で『全てがカワイイ、、、』と言う表現を冒頭に使っている事を思い出し又、以前‘82年と’83年に東アフリカのケニヤ、ウガンダへ旅をした時の経験をも思い出した。しかし、このタンジェは漁港でもあり多分、ここの人間たちの気質は他の内陸のモロッコ人とは幾分違うであろうが、自然が違い、宗教が違い、文化が違いそこで暮らしている人たちの生活様式が違うという事の現実と驚きと戸惑いがこの21世紀にでもこうして存続している事がそして、それらに触れている僕は何だかうれしくなった。全く、僕はここでは異邦人。何を信じてこの街を安心して歩くのか?思わず自分が不安を持ってしまったら全てが不安になってしまうことの恐ろしさをも感じる。歩く所々で投げかけられる笑顔を、言葉を、どれほどに信じてよいのか?
新しい年も4日になって、パリへ再び帰って来た時は正直言って、少しホッとした。路上で交わした多くの現地人との数少ない言葉のやり取りとその風景としての場所を戻って来てからのパリでの日常に思い出すことが今は楽しい。

この文をパリから今年初めてのチューリッヒへ向う列車の中で書いている。6時間を掛けてパリからバーゼルそしてもう1時間ほどを列車に乗ってチューリッヒ。ことしからチューリッヒの友人たちと2004年8月から半年間、この街のナショナルムージアムで『SOUND OF FABRIC』というタイトルでの素材展を企画し、プレゼンをして昨年,仕事として正式に決まったためにこれからこの往復12時間の旅が幾度と今年は繰り返されるだろう。
チューリッヒから車で、小1時間の山間の小さな町、「ST. GALLEN」(サンガレン)は約120年ほどの昔からのシルクと刺繍の産地であり、今も継続してこの街の地場産業としてクオリチィーの高いモノを生産し続けて栄えている町である。ここに「JAKOB SCHLAEPFER」というたいへん優れたクオリテイーのオートクチュール素材を作っているアトリエがありここの素材を中心にチューリッヒの街にもう一度ファッションの新しい風を吹き込もうという目的で展覧会を企画した。このアトリエには、既に幾度か訪れここで作られた素材を見せてもらったが、その量と種類とデザインの発想の面白さが途方も無くただ驚いたばかり。60年代にはデヴュー当時のクーレジュやパコそれにサンローランたちが、70年代の後半にはデヴュー当時のゴルチェも、現代ではラクロア、シャネルからウンガロ、アルマーニ、ジリ、シェレルまで多くのクチュリエたちがここの素材を使っている。これから約1年半を掛けて、新しくこのプロジェクトのために出会ったアトリエの人たち、美術館の人そして僕たちのチームメンバーたちと共に展覧会のために共有言語を捜し求めながら展覧会を構築してゆく事はやはり楽しくうれしい仕事である。

投稿者 : take.Hirakawa | 2003年01月26日 04:43