« 東コレについて。W.W.D. JAPAN より抜粋。 | メイン | 1、2月の行動記。 »
お正月に想ったこと;
今年の僕の眼差しは『豊かさとは何なのだろう?』なのです。
日本へ戻っての、数年ぶりでの年末と新年は僕にはさほどの鮮度あるものではなく、僕の存在そのものが何のために在るのかを、考えさせられました。
その時に、『豊かさ』を思い切り享受している日本人の真っ只中に居ることが不可思議に想い始めてしまったのです。
当然ですが、『豊かさ』は人それぞれに違うでしょうが、この日本では大半の人たち、それを僕は『群集/大衆』と言っている人たちが、戦後、60年経てば「思想」や『教養』が無くてもそれなりの生活環境や物質的な豊かさを全て享受してしまっている現実。すこぶる、『拝金主義』的なる環境に於いても、これからも、『豊かさ』を求めていくには、いったい、何が『豊かさ』なのだろうか?という疑問。
モノを作り出してゆく立場の人たちも、今一度、ここで『豊かさとは?』を考え、再確認すべき時代に来たのではとも想うのです。
もしかしたら、ここへ来て、やっと、『新たなる21世紀の風景』が見え始めたのかもしれません。
そこでこの新たなる風景のための『新たなるスタンダード』が必然になってきた時代性も考えられるでしょう。
一方、昨年来、日本でも、一番価値が、値が下がったものは何だろうか?
それは、『人間の命』でしょう。戦争こそ無いわれわれの世界ですが、それに変わっての、平気で殺人を犯す行為、それも若年層や小学生までもの人間が平気で人を殺すという行為。
人間が、人間の価値を下げていることの哀れさ、儚さ、惨めさそして悲しさはどう理解すればいいのだろうか?
もし、すこしの考える余裕をもつことが可能であれば、『自分にとっての豊かさとは何なのだろうか?』を考え、そのためには何を自分はしたいのか?したら良いのかを、それがファッションの世界であれば、どのようなものを世に作り出したらいいのかをも考えていく必要があるでしょう。
『豊かさとは?』 何でもありです。何をしてもいい、何でも出来うる、何でもしたい、、、、
ではそれらは誰のためになのだろうか?
『群衆・大衆』のレベルでのそれらの行為が世間では。「アート」だとか、「文化」だとかと勘違いして、自分自身に満足し、はしゃいでいる状況、等のように想ってしまう現在の日本です。
これは僕が昨年の眼差しであった、『根っこを知る』に通じるものでしょう。
「人間の、人間のための豊かさとは?」
決して、自分のためのみの豊かさだけではないはずでしょう。
ここで、『人間のがんばり』ということも大切な個人の責任になるでしょう。
自分のやりたいことには『リスクとコスト』を持つそして、やる以上は一生懸命にやる。
時には他者と、同じ目的のうちに『競い合う』ことも必要でしょう。
これが、『がんばる』ということではないのでしょうか?
やはり、戦後からの時代は、もうここで完全に新たな時代を迎えてしまっています。
この新たなる時代の、新の21世紀への『新たなるスタンダード』をどのように構築してゆくかが教育にも、家庭にもそして、社会にも必然であるでしょう。
そして、僕はこのような『豊かさの時代」に何をしなければいけないのか?どの様にこのような社会と関わり、何をしたら『人間』として生きることが出来るのか?
ありがとうございます。
合掌。
投稿者 : take.Hirakawa | 2005年02月11日 11:19